●女でひとつで育てるために奮闘するも、ある日、脳梗塞を発症

当時、出産・育児に伴い正社員枠は外れ、長く同じ業種ではあったものの私は契約社員の立場で就業。子どもたち2人は私立校の中・高校学生でした。養育費はもらえましたが、生活費がとても追いつかず、何種類もの副業にトライしました。コールセンター、飲食店、執筆代行、覆面調査・アンケート集計など、時には1日に3種類の仕事をかけ持ちして、なんとか生活を保っていました。

脳梗塞
※写真はイメージです
すべての画像を見る(全4枚)

毎日働けばなんとかなると思い込んでいたものの、ある日ツケが回ってきました。仕事終わりに立ち寄ったコンビニで突然、脳梗塞を発症してしまったのです。急に右半身に力が入らなくなり、身体がゆっくり倒れていくのが分かりました。

救急車で運ばれ、数日は半身が動きにくくしびれましたが、大変運がよく左脳の梗塞は壊死し、後遺症もなく完治しました。「人間ってやっぱり休日が必要だよ」と医師にも言われ、これを機に365日働く生活を修正。副業は自宅でできるものに制限しました。そのとき、子どもたちは大学2年生と高校3年生。2人が社会人になるまで、少しずつ先が見えてきた頃でした。

●子どもたちは無事に社会人に。娘のひと言で決断

どうなることかと思った育児でしたが、子どもたちはそれぞれ好きな道に進み独立。肩の荷が下りた私は「だれにも迷惑をかけないように天国に行くこと」が新たな目標となりました。

子育てに使っていた費用は保険の掛金に回し、同じ会社に長く置いてもらえるよう心がけ、娯楽といえば友達とランチに行く程度。大きな喜びも大きな悲しみもないけど、生涯ひとりでなんとか生活が保てる計画。このまま静々と生きていけばいいんだと思い込み、ほかの選択肢を考えようともしていませんでした。

スペイン

そんなある日、久しぶりに会った娘が、やりたい事を見失い老後の話ばかりをする私を見て、「人生もうやることないって言ってるけど、まだなんだってできるでしょ。留学でもしてみたら?」とひと言。

「留学? 私が?」
正直、好きでもない語学、どちらかといえば外国人恐怖症、今までは海外に興味すらありませんでしたが、「なにかを変えたい!」と思う気持ちがグッと奮い立った瞬間でした。この日から、自分の人生が楽しみになり、身体が急に軽くなったことを覚えています。私、なにかやりたかったんだ! まだなにかやってもいいんだ! そんな感情で心があふれたのです。

「でも、留学とは言ってもどこに行く?」その日から、通勤路でも仕事の休憩時間でも、留学先のことを考える日々が始まりました。

50代からの毎日を応援する記事多数!「これからの暮らし by ESSEonline」はこちら