『東京の台所』をはじめ、日々のなかにある、かけがえのないものごとを温かな目線で綴るエッセイが人気の大平一枝さん(58歳)。50代の今、生活のなかでモヤモヤするなと思うことに対し「それ、本当に必要?」と疑うクセがついたことで、やめていいものが見えてくるようになったと言います。詳しく教えてもらいました。

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50代「やめてラクになった」こと。理屈やこだわりを捨てたら台所仕事がぐんと快適に
大平一枝さん
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選ぶ基準を「笑顔」にしたら“やめていいもの”が見えるように

大平一枝さんには、忘れられない光景があると言います。それはお茶碗を手に泣いている、娘さんの姿。
「娘が小学生の頃、家のご飯を玄米にしていた時期があったんです。ある日、玄米ご飯を食卓に出したら娘が泣きだしたんですよね。『うちではもう白いご飯は食べられないの?』って」

●「それ、本当に必要?」が暮らしを見直す合言葉

暮らしにまつわる記事やエッセイを数多く執筆している大平さん。取材で家事や料理に関する情報に触れることも多く、当時はそれらを積極的に取り入れていたそう。家族の健康のために、と始めた玄米食も、そのうちのひとつでしたが…。
「玄米はとてもいいものです。ただ、私たち家族の暮らしには合わなかった。そのとき思ったんです。『人がいいと言うものが自分にフィットするとは限らないんだな』って。健康は大事だけど、子どもの笑顔の方が大事。すぐに玄米をやめて、白米に戻しました」

だれかがいいと言っていたこと。もしくは、それらが長い時間をかけてこり固まり、「〜でなければならない」「〜せねば」という思い込みやこだわりに変化したもの。私たちの生活のなかにも、そういった理由で取り入れたものがたくさんありそうです。
「玄米だけじゃなく、つくりおき料理や鉄のフライパンなんかも、まさにそうで。つくりおきは『食べきらなければ』というプレッシャーで食事が楽しくなくなりかけてしまったし、鉄のフライパンは手入れの手間がストレスに。どちらもとてもいいものだけれど、そのときの私には合わなかったんですね。そんな失敗を繰り返すうちに、生活のなかでしっくりこないな、モヤモヤするなと思うことに対して、『それ、本当に必要?』と疑うクセがついたんです。迷ったときは、家族や自分が笑顔でいられるかを基準に考えます。すると、やめていいものが見えてくるんです。自分や家族が笑っていられたら、ハッピーに暮らせるんじゃないかと思っています」

【大平さんのやめヒストリー】

30代:仕事と育児でいっぱいいっぱい。家事ができない自分にへこむ毎日
思うように家事ができず、そんな自分にイライラ…。罪悪感を払拭するため、食材の質や手づくりにこだわるように。

40代:人のおすすめをうのみにするのをやめ、家族に合う暮らしを模索
家族のためにと思ってやっていたことが、子どもにとって幸せなことではなかったと気づく。

50代:しんどいと感じるものがひとつずつ手放せるように
家事や人づき合いでモヤモヤを感じるたび、「笑顔になれるか?」を基準にジャッジ。いらないものが手放せるように。

●生活を自分仕様にアレンジ。目指すは“暮らしの編曲家”

そんな大平さんが今、目指すのは?
「以前、テレビで編曲家の仕事が紹介されているのを観て、『これだ!』と思ったんです。世の中には暮らしや家事にまつわる情報があふれているけれど、そこから自分に合うものだけをピックアップして、編曲家のようにアレンジしていくことが大事なんじゃないかって。たとえば、手の込んだメイン料理のつくりおきは自分には合わないけれど、おつまみになる副菜のつくりおきは、あるとゆっくり飲めて便利だからやってみよう…というように。そんなふうにいろいろなことをアレンジして、今の自分にフィットさせられる、暮らしの編曲家になれたらいいですね」