しばらくしてわたしを覆う影ができた。なにものかがわたしを発見し、のぞきこんでいるのだ。わたしはその顔を見て息を呑んだ。ワンダだ──いや、すこし違う。ワンダとすごく似ているが、ワンダよりも身体が小さい。まだ子どもだ。
子どもはわたしを手にとった。そして、じっとわたしを見つめる。そのとき、わたしは直感した。ああ、この子は──ワンダの子どもだ。
すべては記憶のなかにある。いま語ったこともすべてわたしの記憶にすぎない。記憶はすぐにあいまいになる。わたしはワンダのペン立てに戻ってきた。しかし、ワンダはわたしが以前ここにいたことを覚えているだろうか? あるいは、わたしがいなかったことに気がついているだろうか?
記憶は朝のまどろみに似ている。しっかり見たはずだが、それはさだかではない。
【編集部より】
あのー、ワンダさんがペンをなくしてから、ペン立てに戻ってくるのにいったい何年かかっているんでしょうか? 何年もたってから見つかるのだったら、記憶どころの話ではありません。
たしかに「ここに置いたはずだったのに…」というときは、記憶違いが多いような気がします。持ちものの定位置を決めて、さらにそれをスマートフォンなどにメモしておくとよいかもしれませんね!
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