国立がんセンターによる最新がん統計(2014年)によると、生涯でがんに罹患する確率は、男性が62%、女性47%。およそ2人に1人ががんに罹患することになり、だれにとっても他人ごとではありません。

2018年3月に25歳で逝去した山下弘子さんの夫であり、現職の兵庫県議会議員でもある前田朋己さんに、がんと共生した後悔のない闘病生活についての話を聞きました。

前田朋己さん
「弘子さんとの5年間の闘病生活に、まったく後悔がない」という前田さん
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19歳で発症した妻・山下弘子さん。でも「がん=死」ではないからこそ、特別な気は使わなかった

●出会った当日に、「がん」だと告げられて…

山下弘子さんは、大学在学中の19歳で巨大な肝臓がんが発見され、「余命半年」を宣告されました。がん保険のCMで、「生きてるってすばらしい」と自らの結婚式を振り返りほほ笑む姿を、覚えている人もいるかもしれません。

つらいはずのがんとの闘病生活においても、ヒマワリのように周囲を明るく照らす存在だったという弘子さん。そんな弘子さんに、前田さんは出会った瞬間からひかれました。

山下弘子さん

「山下弘子―僕はひろと呼んでいたのですが―ひろと初めて会ったとき、僕はすぐに『結婚するなら、この子や!』と確信しました。でも、すてきな出会いにテンションが上がる僕に、彼女は自分ががんであることを告げたのです」

二人が出会ったのは、2013年6月。その頃の山下さんは、最初に見つかった肝臓がんの手術は成功したものの、その後再発が明らかに。大学に二度目の休学届けを出し、抗がん剤治療を開始していました。

彼女の衝撃的ながん告白に対し、前田さんは最初からずっと「『へえ~、そうなんや』というくらいのノリ」で、「普通」の態度を貫き通したといいます。

「病気になったせいで人が離れていったり過度に気を使われたりといった経験を、ひろはきっとしてきたことでしょう。でも、現代では『がん=死』ではありません。現代では、生存率も非常に高くなっています。僕は職業柄、生存率などのデータを知っているし、自分の母親も僕が中3のころに子宮がんになったものの今もピンピンしているので、心からそう思っています。そして、今後はもっとがんと共生できるような社会にしていけると思っていたので、ひろに対しても特別に気を使わないようにしていました」

●「がんはサナダ虫」と思って一緒に暮らす

順調に交際を続けていた二人。しかし、すぐにでも結婚を望んだ前田さんに対し、がんであることに引け目を感じていた弘子さんはなかなかうなずいてくれませんでした。

そんな弘子さんが結婚に同意したのは2016年秋ごろ。当時参加していた新しい治療薬であるレンビマの治験により、病状が好転したことがきっかけでした。

「ひろは僕を残して先に逝く可能性が高いことを、とても気にしていました。でも、僕にとってひろは恋人であるだけでなく親友でもあるような、一緒にいていちばん楽しい相手だった。人生や仕事に対する向き合い方も、ひろから学ぶことばかりでした。だから、病気のことなんて関係なく、ずっと一緒にいたかった。ひろが結婚にうなずいてくれたときは、天にも昇る気持ちでした」

しかし、そんなときに、骨と心膜へのがん転移が発覚。対処療法の放射線治療しかないことを知った弘子さんは、結婚を取りやめにしようと言いだします。
しかし、前田さんは「がんなんて単なる細胞で、僕らの仲を邪魔できるようなものじゃない!」と弘子さんを説得しました。

多くの人に祝福されながら、2017年6月に結婚式を挙げ、結婚生活をスタートしました。

結婚式

ふたりずっと考えていたのは、「夫婦でがんと共生しよう」ということ。

「僕はひろに『がんはサナダ虫みたく思え』とよく言っていました。ひろのがんは現代の医療技術では完治できないことがわかっていたので、体の中で飼いならすように共生していこうとしていたんです。そう思えば、病気であることを気にしすぎないですむ。心を健やかに前向きにすることで、きっと体にもいい影響がある。なので、普段の生活のなかでは、ひろのことはなるべく病人扱いしなかった。その代わり、常に楽しいことを考えるようにしていました」

5年間の闘病生活に、後悔がない理由

●病気だからこそ、やりたいことをやる

弘子さんとの5年間の闘病生活に、まったく後悔がないという前田さん。

「そういうふうに思えるのは、僕とひろががまんしないでなるべく楽しいことをして過ごそうしていたからだと思います。ひろも僕も海外旅行が好きだったので、二人でよく海外旅行に行っていました」

海外旅行

そんな夫婦に対し、ネットには「病気なんだから、海外に行ったりなんかしないで、家でじっとしてればいいのに。海外で万が一のことがあったらリスクが高いよ」という書き込みもあったそう。

「僕は病気によって行動を制限してしまうのはもったいないと思ってしまう。そうやってがまんしていたら、病気が進行して本当に動けなくなったときに、『ああすればよかった、こうすればよかった』という後悔が絶対に残っていた」

また、前田さんに後悔が残らなかったのは、弘子さんが常に明るく、誰にでも優しかったこともあります。彼女を知る人はみんな「彼女といると、とても楽しくなる。そんな女性でした」と言うそう。

「ひろは、つらいことも、心の片隅にどかせてしまえる女性でした。つらいことを考え続けている限り、頭を占拠するのは現在進行形の痛みや悲しみです。でも、ひろはそれを忘れて、いつも『今』を生きていた。そんなひろの姿に、僕も周囲も救われていたのだと思います」

弘子さんのお骨の一部を、二人で旅行したいと言っていた国や二人で訪れた場所に少しずつ散骨しにいくことが、今現在の前田さんにとって人生の大きな目標のひとつです。

海外旅行

「二人で旅行したカンクンでも散骨しました。次はひろが行きたがっていたニューカレドニアに連れて行きたいと思っています」