●家事は“嫁にモテたい”から始まる

「夫が家事をしてくれない」という声が数多く届く。が、この件に関して僕には多少思うところがある。最近は「家のことなんだから」というかさに懸かった声があまりにも強すぎて、夫の仕事への労いがおろそかになってしまっているのではないか。

ほかの国のことは知らないが、日本において男が仕事で受けるストレスは並大抵ではない。重圧、板挟み、責任、これらが一生ついて回り、それでも家族を守るために向上心を持って取り組まなければならない。そんななかクタクタになって家に帰ると、聞こえてくるのは妻のグチと舌打ちだけ。こんな現状で夫婦の協力態勢など取れるわけがない。

と、同性を庇護しつつ―やはり主婦業の過酷さは尋常でない。早朝から夜遅くまで気の休まるときがなく、さらに子供でも生まれた日には一息つくことさえできない日々が向こう数年間続く。最大の悲劇はこれらの苦労が見た目で伝わりづらいことだ。

以前、軽い気持ちで“ママのお休みの日”を設け、子供と家事全般を請け負ったことがある。僕はわりかし器用だし、体力は人の3倍はある。自信満々で始めた結果、僕は半日と持たずに潰れた。
根性論では語れないレベルの疲労が、肉体と精神を蝕んだ。これを毎日やっているのかと思うと気が遠くなった。この苦労を知ると「ほんの少しの手伝いがどれだけの助けになるか」という気持ちがよくわかる。

まずは「男女どちらが大変か」という比較をやめることだ。そしてお互いがお互いのために毎日頑張ってくれているという、当たり前なのに忘れがちなことを改めて認識し直すべきだ。
サラリーマンであれ主婦であれ共働きであれ、互いの仕事への労いがベースにないと、サポートの段階になど進めない。
「お疲れさま、いつもありがとう」があって初めて、「こちらこそありがとう。何かできることはある?」につながるのだから。

僕も仕事柄スケジュールが不規則なこともあり、十分に家事の手伝いはできていない。なので限界はあるのだが、家にいられる時間はなるべく家事をするように心がけている。
だが、そこに義務感は一切ない。よくできた旦那のように「時代に鑑みて男も家事を~」などといった意識も特にない。では、なぜやるか。
嫁にモテたいからだ。

昔は義務感から家事に手を出し、やり方にダメ出しをされてケンカになった。育った環境で家事の細かなルールはそれぞれ違う。義務感で行うと自分のやり方を貫いてしまい、嫁からすれば雑に済ませているように見えてしまう。それで一つの答えを導き出した。やらなくてはいけないのではなく「よく思われたい」という認識で始めたほうが、結果的に全てがうまく回る。

たとえば洗い物をするとき、茶碗をただ洗って終わりではなく、シンクやカウンターも拭き、その台拭きをもみ洗いして絞った状態で置いておく。バスタブだけではなく風呂場の壁や床もざっと磨いておく。すると「こんなところまでありがとう!」「すごい! 助かっちゃう」と褒めてもらえる。そうなると「次はガス台回りも」「天井にだって手が届いしちゃうんだから」と範囲も広がる。

「よく思われたい」という欲求は、必然的に嫁の「こうしてほしい」を上回ることになるのだ。
僕は褒められて嬉しい。嫁は助かる。これ以上Win-Winな関係があるだろうか。

 

今日も嫁を口説こうか』は、平子さん独自の夫婦愛の形がつまった一冊。ぜひチェックしてみてください。

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