いつかは自分事になると頭では分かっていても、いざ直面するとどうしても慌ててしまう親や家族の介護。漫画家でライターの青山ゆずこさんも、中学時代にヤングケアラーとして曾祖母の介護を手伝い、25歳からは7年間“夫婦そろって認知症”の祖父母と同居し、介護と向き合ってきました。そんな青山さんが、同じように介護を経験されているESSE読者のお話をお聞きし、近い将来ちょっと役立つかもしれない介護情報・体験談をせきららにお伝えします!

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ESSE読者の介護体験。「家族全員で同じように介護」は難しい?

「家族一丸となって介護をしよう」「協力して支え合おう」

――介護について調べていると、こんな言葉をよく目にします。でも、少なからず介護に携わってきた私はどうしても違和感を覚えてしまうのです。

だって、家族はみんな立ち位置が違うし、介護をする相手への思いや関係性も違うはず。

“温度差”があって当たり前なのに、家族全員で同じ熱量で、みんなで同等の介護をするというのは、とても難しい気がします。

今回お話を聞いた、北海道にお住まいのESSE読者の石川美羽さん(仮名・30代)も、その温度差に悩んでいるひとり。お母さまの介護に向き合うなかで、父と娘で“ある溝”が生まれてしまったそうです。

●父が娘に求める「もっと母に尽くしてくれよ!」という無理難題

「私の母は私が大学4年生から、新社会人になるタイミングで脳梗塞になり、左半身がマヒ状態。介護が必要な状態になりました。それまで仕事人間だった父も、昇進ルートを自分から断って、介護をしながら仕事ができるようにと家の近所の子会社に出向したんです。父の母への想いはとても強かったのか、とにかく『お母さんの介護を第一に考えるように』と、わが家のルールは少しずつ変わっていきました」

そして、ゆっくりと確実に父と娘の歯車は狂い始めます。

「新社会人で慌ただしい毎日を過ごすなかでも、なにより母の介護を優先しました。朝早く出勤して、仕事が終わったらすぐに帰って母の身の回りの介護をします。そして疲れ果てて寝て、またすぐ出勤。でも父は口癖のように『もっとお母さんに尽くせ!』と言ってくるんです。そのたびに心の中にモヤモヤがたまっていって…。お互い母のことを思っているのに、父の言動にイラっとしてしまう。そして仲はどんどん険悪になっていきました」

●「この薄情者!」温度差が元凶となり、冷戦状態に…

親子喧嘩

そして父と娘の介護の温度差が広がってく中で、ついに事件が起きてしまいます。

「ある日、仕事の長期休みを使って父に『友だちと旅行に行きたい』と言ったんです。でも父は、『休みをお母さんのために使おうとは思わないのか!』『この薄情者』と罵倒されてしまって…。父にとって介護は“相手にいかに尽くせるか”という要素がすごく強かったんです。でも私は、自分の人生も楽しみたい。自分と同じくらいの熱意や尽くし方を強要してくる父の考えや熱意には、どうしてもついていけませんでした」

温度差があるとはいえ、〇〇しなきゃいけない、〇〇すべき! という押しつけは余計ストレスが溜まります。

●家族だからこそ話せないこと

父の反対を押しきって、なんとかつかの間の気分転換の旅に出たそうですが、その関係は一気に険悪になってしまったそうです。

「旅行のお土産は捨てられて、それからは会話もほとんどなし。淡々と毎日を過ごす冷戦状態はその後数年続きました。ただ今思うと、父は介護の大変さや愚痴を相談できる人がいなかったので、常にいっぱいいっぱいだったのかも知れません。

今は私も結婚して家を出て、近所に住む父とは適度な距離を保っています。介護はデイサービスやショートステイなど外部のサービスを利用したり、父と私もシフト制にして役割分担をしたり。介護の話は“家族のことだからこそ、相談相手は家族じゃない方がいい”場合もあると思うんです。第三者に話すからこそ、冷静になって物事が見えるし、客観的にもなれる。私は夫や友だちが話を聞いてくれました。あえて距離をとることの大切さを、身をもって知りました」