シアワセは「ささやかさ」を感じることで生まれる

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●何と何がそろったらシアワセになれるの?

シアワセになるためには、どうしたらいいんだろうって考えませんか? 何と何がそろったらシアワセになれるんだろうって…。

最近ね、私は年老いた両親の姿からひとつのヒントをもらいました。私がものごとを悪い方へ悪い方へと考えるペシミストになったのは、母に似たからです。体調が悪くて落ち込みがちな母。病院に行って治療をしてもらったり、薬をもらってちょっとはマシになったとしても、「また具合が悪くなったらどうしよう」と絶えず心配しています。

それに対して付き添いの父はいたって能天気。「いい先生に診てもらえてよかったな~」とか「帰ってきたら、しゃんと歩けていて素晴らしい!」と、ひとりでニコニコしています。

そんな正反対のふたりの話を聞きながら、自分と同じようにくよくよと考える母の様子に、「それって、ソンじゃない?」と思ったんだよね~。同じことをいい方へいい方へと捉える父の方がずっと楽しそう。

●シアワセは手に入れるものじゃなく、感じるもの

現実という土台の上に、ポジティブという花とネガティブという落とし穴があったとしたら、落とし穴の手前で怖がって立ち止まったままよりも、ポジティブの花だけを摘んで集めればいいんじゃない? そう考えるようになりました。

人って、「手に入らないもの」を手に入れられることができたなら、シアワセになれると考えがちじゃない? ここじゃないどこかにシアワセがあって、努力したり、頑張ってようやく手に入れる…。そんなイメージ。

でも、同じ現実の中にいるのに、父はいい先生に診てもらえたことや、昨日より今日の方が体調がちょっとマシになったことを「お~、よかったなあ~」と言い、母はまだこない未来を心配し不安がる…。

そんなふたりの姿を見ていて、父は何かを手に入れなくても、「今この時」の中にちゃんとシアワセを見つけているんだと知ったんです。つまりシアワセって、手に入れるものじゃなく、感じるものなんだね。

たとえ細切れでも、ポジティブとポジティブを足し算していけば、人生の中でのかなりの時間を占めるはず。もし、明日イヤなことがあったとしても、前日から「イヤな気分」を味わう練習なんてしなくていい。ギリギリまで、ヒャッホ~! と楽しんじゃえばいいんじゃない? と思ったんだよね。