SDGsで重要なのは、どうふるまうのか

むらまるごと研究所の事務所
むらまるごと研究所の事務所、通称「むlabo」では、大人も子どももアイデアを形にする場として村の工作室を準備中
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たかまつ 西粟倉村の子どもたちは、SDGsについて、どう学び、どう受け止めているんでしょうか。都市の学校現場ではたとえば、マイクロプラスチックやリサイクル、食品ロスが身近な問題として取り上げられるわけですが。

大島 小学校2年生の娘が「畑を荒らしたからって、シカさんが殺されて食べられるのはかわいそうだ」と言ったことがあるんです。「じゃあ、どうする?」と聞くと、「山の上にドングリを植えて、シカさんのレストランをつくればいい」と。「それはどうしたらできるかな?」と話をしていくと、村の森博士に自分から質問しにいくわけです。課題が身近で、さらにアクションまでが近い。それは大人にとっても同じですけど。

 

「むlabo」
「むlabo」では、子どもたちが社会を変えるために行動する力も育んでいる

たかまつ 今、OECD(経済協力開発機構)は「生徒エージェンシー」を打ち出しています。社会を変えるために行動する力を育むことですが、まさにそれを体現しています。

大島 教育って「どう教えるのか」ではなく、「どう学ぶのか」だと思っていて。SDGsにしても、どうアクションしていくかのふるまいが身につかなければ、17の目標を知っていても、あまり意味がないんじゃないでしょうか。

たかまつ そうですね。みずから問題を見つけて行動する、その積み重ねでしか、社会は変わっていきませんから。

大島 SDGsのゴール設定にも、私は少しだけ違和感があるんです。ゴールを掲げているけど、通過点でしかない。子どもたち世代はその先を生きていくわけで、だからこそ、未来を見ることが大事だと思うんです。SDGsって、課題目線で願い目線ではないんですよね。先ほどの娘の話も課題目線だと、「獣害を抑えながら、生態系の多様性を守る」という話になります。でも、彼女はみんなが楽しく畑をやれたらいいし、シカさんを殺したくないと願っている。未来を目指せば、目標は途中で通過できる。西粟倉村がやってきたことは、そういうことだと思います。

たかまつ 大島さんは以前、インタビューで「課題を課題と言うのをやめる」とおっしゃっていましたよね。それに、すごく共感したんです。私は課題を明らかにしてから、解決法を考えがちなんですが、「こういう未来をつくりたい」という視点で話したほうが楽しいし、人を巻き込むことができる。

大島 それは間違いないと思います。

たかまつ 私は社会問題を身近に感じてもらいたくて政治の授業をしています。ただ、権利意識だけが育つと、批判するだけの行政のサービス者になってしまう。その意味でも主権者教育に力を入れているのですが、課題探しではなく未来を見据えるほうが大事ですね。

大島 たとえば、村に独居で寂しがっているおばあさんがいたとして、これを課題として整理すると、「高齢化」「過疎化」になります。でも、このおばあさんに会いに来る人をどうマッチングできるか、どうしたらおばあさんは外へ出てきてくれるかといった設定すると、ぐっと色が出てくる。テクノロジーはあくまで道具で、課題とテクノロジーをぶつけても答えが出ない。願いとテクノロジーでなければだめなんです。

たかまつ お話を伺っていて、変化を怖がらないことが大事だとあらためて思いました。前例の踏襲や保守的な姿勢が社会全体に根強いですが、大きく見直していくことが日本には必要です。

大島 いつの間にか変わっているとか、オンされて選択できる形がいいのだと思います。西粟倉村のキャッチコピーって「生きるを楽しむ」なんです。とても素晴らしいと思っていて、古いものを守るとか刷新するとか、二項対立な世界ではない。「生きるを楽しむ」って、それぞれの人にある。それが多様性・寛容性・柔軟性なのだと思っています。

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