●結婚、出産とだれもが進むわけではなかった

猫を抱く女性
30代の頃
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私が産むことを諦めたのは、40歳を超えた頃。

30歳で結婚したのも、その後舞台などの長期の仕事を控えたのも子どもを産み育てることを考えてのことでした。両親が共働きで、母も忙しい毎日でしたので、自分が子どもを産むときには、子どもがある程度の年齢になるまでは仕事を控えるつもりでした。

結婚から2年経った頃、同級生たちから不妊治療を勧められ、思った以上に多くの友人たちが産婦人科に通っていることを知りました。それでも当時の私は自然の成り行きに任せたいという気持ちも強く、そう思っているうちに3年4年と経ち、結婚生活にもピリオドを打つこととなり、わたしの30代はあっという間に過ぎた印象があります。

●「子どもは?」の質問に怯えた30代。50代になり肩の荷が降りた

皮肉なことに今振り返れば、30代は女優業がいちばんおもしろくなり始めた年齢です。子どもがほしい一方で、忙しく仕事をすることにも夢中になっていました。

出生率が低く、子どもを産まない女性が増えたと言われますが、実際には産みたいけれど産めなかった女性も多くいるのではないでしょうか。

今思うと30代後半から40代初めの頃は常に子どもを産まなければ…いう強迫観念のようなものを感じ、唐突に「子どもは?」と聞かれることにビクビクとした日々を過ごしていました。妊娠を期待して、次の生理予定日が1日でも遅れれば胸を躍らせ、それが叶わなかったときの、虚脱感。その繰り返しを何度も味わい落ち込むこともありました。

それを思えば50代となった今は、少し肩の荷が降りた感覚です。それでもやはり、人生において大きな仕事をし忘れてしまったような気持ちは拭えません。

●どんな形の人生にも意味がある

人生はどうにもならないことの方が多いものかもしれません。

今この年齢になり、子どもを産まなかった人生を考えるとき、私はこんなふうに思うようにしています。

「生まれる前に、どんな人生を歩みたいかの選択をして、きっと私は生まれてきたのだ。子どもや家族とともに過ごした人生はすでに経験し、そのときにはできなかったことがたくさんあったはず。だからそのときにはできなかったつらいことも楽しいことも、今私は存分に味わっているのだ」と。

これは子どもに限らず、不条理だと感じる出来事に接したときには、「すべては自分が選んだ道」と勝手に解釈するようにしています。隣の芝生は青く見えるもの。一つ一つの人生に、それぞれの悩みや苦しみ、悲しみ、そして喜びがあります。できなかったことや、得られなかったことばかりを悔やむ人生なんてもったいない!

未知の可能性に溢れている若い頃は、つらいことも、やりきれないこともたくさんあったけれど、人生に起きたすべての出来事には、必ずなにかしらの意味がある。

演技の仕事に、猫のこと、いろんなことに忙しく過ごす毎日のなかで、そう実感する50代です。

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