この学校ではブラック・ライブズ・マターが大きなムーブメントになる前から多様化教育に力を入れており、学内で人種平等に向けチームを立ち上げ、取り組みを続けています。昨年2月に学内で差別発言が発覚した際も、昨年5月にジョージ・フロイドさんが死亡した事件を発端に抗議デモが続いた際も、今回の日本人暴行事件が起こった際も、子どもたちのケアや指導、家庭での多様化教育へのアドバイスなどを行っています。

差別の歴史や多様性を紹介する動画や絵本のほか、なかには「もし自分の子どもが差別的言動をしてしまったら?」といった加害者になるリスクについての参考資料もありました。シアトルは比較的リベラルで意識が高い家庭の多いイメージがありますが、メディアによって耳にした差別発言を無自覚に取り入れてしまう子どももいるかもしれません。「両親ともども、そうした言動を一切したことがないのに、なぜうちの子が?」と加害側に回って動揺する親の存在にも考えをめぐらせれば、改めて差別が生む影響の大きさに気づかされます。

●第二次世界大戦中、日系アメリカ人が強制収容された過去

ハリス副大統領も発言で触れていましたが、アメリカは第二次世界大戦中、大統領令により日系アメリカ人を強制収容した歴史を持ちます。家も財産も手放し、荒れ地の粗末な収容施設にほぼ身ひとつで向かった後、同じアメリカ人から銃を向けられながらの生活を余儀なくされたのです。

この強制収容は、勤勉に働いて財産を築いた日系人を体よく追い出したいと画策したアメリカ人の差別感情が根底にあったと言われます。中華系、韓国系もそれぞれ、アメリカでの差別の歴史が背景にありますが、日本ではこうしたアジア系差別の歴史についてあまり知られていないように思います。ブラック・ライブズ・マター運動で黒人差別の歴史が認知、共有されたように、多くの人が声を上げる今は、アメリカでのアジア系差別の実態が広く世に知らされるときに来ているのかもしれません。

ジャパンタウン
チャイナタウンに隣接するジャパンタウン。戦中に強制収容される前、この一帯は多くの日系アメリカ人にとっては生活の場であった。店のガラス窓を守る板ばりに描かれたアートは、持ち主を失ったままの日系人家族の荷物
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戦時下では、日系人への差別をなくすために米軍に志願した日系アメリカ人兵たちが、過酷な欧州戦線で米軍兵救出のために多くが代わりに犠牲になったことで、身をもって信頼回復に貢献しました。しかし、現在は直接の交流はできないコロナ下であっても、SNSなどで知識を共有する、STOP AAPI HATEといった支援団体をサポートする、多様性や差別の歴史を書籍やインターネット検索を通して知る、そして子どもたちや次世代への教育につなげるなど、私たちひとりひとりがさまざまな手段で差別をなくすための取り組みができます。

息子は土曜日に日本語学習の授業を受けていますが、シアトルの歴史を学ぶ社会の副読本に、日系アメリカ人の強制収容について記述がありました。そこで私も、日本とアメリカが戦争をしていたこと、日系アメリカ人が理不尽な差別を受けたことを改めて息子に伝えることができました。今、東京五輪の開催についていろいろ言われていますが、もし開催するなら、日本から世界にメッセージを発信するまたとない機会となるでしょう。次世代の子どもたちのためにも、アジア系が弱者であり続けなければならない時代は、早く終わってほしいと思います。

【Norikoさん】

アメリカ・シアトル在住で現地の日系タウン誌編集長。フリーランス・エディター/ライターとしても、日米のメディアに旅行情報からライフスタイル、子育て事情まで多数の記事を寄稿する。著書に『

アメリカ西海岸ママ~日本とは少し違うかもしれない、はじめての妊娠&出産~

』(海外書き人クラブ刊)、共著書に『

ビックリ!! 世界の小学生

』(角川つばさ文庫)。