作家・作詞家として活躍する高橋久美子さんによる暮らしのエッセー。今回は、日本の猛暑について考えたことをつづってくれました。
第28回「海と森へいこう」
●日本はたった数十年で亜熱帯に変わってしまった
お盆前に、ダイニングキッチンのクーラーが壊れてしまった。不動産屋さんに電話をしても、留守電になって、10日間の夏休み期間だと言うではないか。室内でも温度計が37度をマークする中、なんとか扇風機で乗り切るぞ! と気合を入れ料理をするんだけれど、火を使うともう釜ゆで地獄に落とされたみたい。料理ができあがった頃には、汗だくだくで食欲はなくなってしまっている。そうなると、毎日、冷奴に納豆、キュウリとタコの酢の物のオンパレードだ。
やっと不動産屋に連絡がついたときには、業者さんのクーラーの修理が立て込んでいて行けるのは一週間後とのことだった。ひょえー! 連日、夏バテの8月だった。いやあ、日本全国クーラーが命綱というところまできているのだと思った。
過去の気温を調べてみると、私が7歳の頃の8月の東京の最高気温は、どんなに暑い日でも33度で、連日29度とか、30度だった。今の最低気温くらいだなあ。たった30年前の話だよ。地球規模で考えると30年なんて魚がぽちゃんと跳ねるくらいの瞬間だろうに。愛媛の実家にもクーラーなんてずっとなかった。夜は網戸にして蚊帳(かや)をつって眠れば、朝方は寒いほどだったし、夏休みも朝から晩まで外で走り回って遊ぶことができていた。今は近所の子達が、炎天下の中で外で遊んでいるのを見るとちょっと心配になってしまう。昔とは太陽の鋭さが違うもの。
日本は温帯から亜熱帯に変わってしまったんだろうと肌で感じる。数年前に訪れたタイの夏と同じ焼かれるような日差し。フライパンの上を歩いているみたいな。突然のスコールとか、すさまじい雷とか、雲だってこの頃は見たことのない形をしている。実家で育つ野菜も、モロヘイヤやツルムラサキなど、東南アジアやアフリカが原産の暑さに強いものが多くなった。気温上昇によって、これまで見たことのないような害虫が生息するようになって、30年前と同じ野菜や米の品種は農薬なしでは育ちにくくなっていると母が言った。実家の田んぼも最近は「にこまる」という温暖化対策からできた暑さにつよい品種に変えた。
モーリシャスの美しい海や、北極のしろくまや、四国の山々を思うとき、あと20年後30年後の地球ってどうなるんだろうと考えてしまう。私達はいいとして、4歳の甥っ子は無事に地球でおじいさんになれるんだろうか。SF映画みたいに他の星に移住とかしていたりするんじゃないかな。私が7歳からの30年でこんなに気候変動が進んでいるのだから、なくもないよね。そんな風に、目の前のこととそれから私がいなくなった後のことを考えて心配している夏だった。
●自然が教えてくれたこと
家の中にずっといるのにも疲れて、私はひとり茅ヶ崎の海へ行った。海なんて暑くて大変だろうと思ったら、涼しいではないか! 海からの風、空は広くて、心の中がとても静かに空っぽになれた。
そして、当たり前にずっとそこにあるものの凄さに動揺した。まるで美術館にでも来たように、私はただぼーっと波を見続けた。この海の中から生物が誕生し二足歩行で立っていること、海の中では全然形の違うものたちが生きていること、地球ができて以来、何の文句も言わずに寄せては引いて、最初も最後も、何もかもをここで受け止めているんだなあと、感謝の気持ちが湧いてくる。
この海のように、奇跡的なバランスで生命という大きな波は維持されているのだろう。太古からある海を見ていると、自分が自分でいることが幻のようにも思えて、殆どのことがどうでもいいようにも思えた。地球が滅びてしまうのなら、それも人類の因果応報なのかもなあなんて。
けれど、靴を脱いで砂の上を歩けば笑ってしまうくらいに熱々で、やっぱり帰って私は原稿を書いて編集者に送ったり、明日のために暑すぎるキッチンでご飯を炊いたりした。
●東京でもできることはある
それからというもの、都内の海や森へ出かけることが増えた。
先日、友人と代々木公園にも行ってみた。公園の外は36度を上回って今にも倒れそうな暑さなのに、木々に囲まれると嘘みたいにひんやり涼しくてそのギャップに驚いてしまう。森は天然のクーラーだとC.W.ニコルさんがよく言ってらっしゃったけれど、その通り。そして断然クーラーより気持ちいいのだ。木々が幹や土の中に伸ばした根っこに水分を蓄え、葉っぱから放出してくれているからなんだ。私は四国にいた頃のことを思い出した。自然はずっと私達を守ってくれていた。自然は人間の何倍も賢い。
木陰に入って風をあびてお弁当を食べていると、さっきまで襟足からぽとぽとと滴っていた汗がすーと引いていく。私達は嬉しくてシートの上に寝転がった。桜の枝から枝へ飛ぶ蝉を眺めながら、
「やっぱり森を増やさなきゃいけないんだなあ」
と話した。
すると、彼女が
「私も農地を借りてみることにしたの」
と言う。彼女の実家は農家ではないので、これが初めての土いじりだそうだ。東京を出ることはできない。でも私を見ていて東京でもできることがあるんじゃないかなと思うようになったと言ってくれた。
「すごいよ。私も嬉しいなあ。土いじり楽しいよ。きっとはまると思うよ」
と話して、しばらく自然の歌に耳を傾けた。
9月になり少しづつ涼しく過ごしやすくなってきた。優しい風が癒してくれるとき、雨が地面を潤すとき、地球が頑張ってくれているんだなあと感じる。だからこそ、私達にできることを考えながら暮らすこと、それがこれからの人間の宿題であり、恩返しだと思うのだ。
【高橋久美子さん】
1982年、愛媛県生まれ。作家・作詞家。近著に、詩画集
「今夜 凶暴だから わたし」(ちいさいミシマ社)、絵本
『あしたが きらいな うさぎ』(マイクロマガジン社)。主な著書にエッセイ集
「いっぴき」(ちくま文庫)、絵本
「赤い金魚と赤いとうがらし」(ミルブックス)など。翻訳絵本
「おかあさんはね」(マイクロマガジン社)で、ようちえん絵本大賞受賞。原田知世、大原櫻子、ももいろクローバーZなどアーティストへの歌詞提供も多数。公式HP:
んふふのふ