男子3人(小学3年生、1年生、3歳)の子育て真っ盛りのマルサイです。
わが家の小学生チームの登校時間は7時40分です。埼玉南西部の真冬の7時40分、そこそこ寒いです。
玄関先で見送るといつも「この寒い中30分近く歩いて登校するのか…」と可哀想になるのですが、ヒートテックのインナーを着用し、保温効果のある靴下を履き、アウトドアブランドのダウンに身を包み、あったか素材のネックウォーマーと手袋で完全防寒している長男を見ると、この現代っ子が!! と喝を入れたくなったりもします。
今より寒かった昭和時代の冬。けっこう楽しんでいたかもしれません
すべての画像を見る(全2枚)今から30数年前、長男次男と同じ年頃だった頃。
私は姉たちのお下がりのペラッペラに薄くなったズボンを履き、毛玉だらけのトレーナーを着て、指先に穴が空いた毛糸の手袋、真っ赤な毛糸のパンツ、そしてやはりお下がりの防寒の意味があまりない薄手のジャンバーという出で立ちで登校していました。
ちなみに靴はスニーカーではなくビニール製の上履きみたいなので、ズックと呼ばれているものを履いてました(靴底が死ぬほど薄い!)。
学校までの道のりは霜柱がザックザクで、雨どいのパイプの下に置いてある洗面器には氷がはってたりして、とにかく寒かったです。
学校に着いても教室のダルマストーブはまだ点火されていなくて、朝の会の始まりにようやく先生がつけてくれるのですが、ストーブの前の席は熱くて死にそうだし、窓際の席はすきまっ風で地獄のように寒いし、席によってかなりの当たり外れがありました。
そんでもって忘れられないのが真冬の体育。昭和時代の小学生の体育といえば強制的に半袖短パンもしくはブルマ。素肌がからっ風にさらされて肌が赤~薄紫色になってそのうち白く粉吹くんです。寒すぎて肌が痛くて、半泣き。
でも先生は長袖長ズボンのジャージで、なんならジャンバーも着て、大人はズルいって思ってました。青っパナ垂らしながら(そしてその鼻水は袖口でぬぐっていた)。
教室に戻るとダルマストーブの周りで着替えをして、休み時間の間、ストーブの周りは満員御礼。授業開始に窓際の席に戻るのが憂うつでした。
下校の時間になっても道端の氷は溶けてなくて、その氷を家まで持って帰ったり…。
ビチョビチョに濡れた毛糸の手袋をコタツの中で乾かしがてら自分もコタツの中に入り込んで、キンキンに冷えた体がゆっくり温まっていくのを感じるのが最高に幸せでした。
こうして思い出すと、30年前の私はなんだかんだいって寒さを楽しんでいたのかもしれません(やたらとタフな子どもでした)。
ところで完全フル防寒で登校する長男、汗をかきながら帰ってくることが度々あります。そうです、厚着のしすぎです。
反対に二男は寒さに鈍感でとにかく薄着。寒いと気づいたときにはどうしようもないくらい冷えきっていることがたびたびあります。
両極端な二人には、ぜひちょうどいい寒さ感覚を身につけてほしいと思います。
【イラスト・文/マルサイ】
小学3年生、1年生、3歳の男子3人と夫の5人家族。男の子あるあるや家族のほのぼの話を描いた絵日記をインスタグラム
@maru_saiで発信。著書に
『マルサイ家の三兄弟 ドタバタ絵日記 男子が3人います。』(大和書房刊)など。最新刊は
『主婦力ゼロからのやってみた家事』(大和書房刊)