三方を山に囲まれ、前面には棚田と海が広がり、立山連峰まで望める素晴らしい立地。自然豊かなこの地にたたずむのは「大呑ビレッジ游心庵」という名の宿泊施設。循環型経済を生み出し、地域の持続性を高めることを目的とした、この地域のプロジェクトのひとつとして誕生しました。改修設計を担当した岡田翔太郎さんは「この自然と呼応しながらも、安らげるような建物にしたかった」といいます。游心庵の様子とともに、石川県七尾市大呑が取り組むSDGsの取り組みについて取材しました。
すべての画像を見る(全15枚)能登半島の豊かな自然を一棟貸しの宿でひとりじめ。雄大な景色は居間の大きな窓からも。
庭につくられた広々とした月見台。ここから眺める富山湾と立山連峰はまさに絶景。ときには「近くの畑で作業していた地元の方が、ここで休憩していることも。今度、游心庵のお客さんと一緒にお茶会をしましょうね、って話してるんです」(取材に応じてくれた広報の柿島さん)。
地域を愛する思いが実現させた、循環型経済を育てるプロジェクト
能登半島の中ほどに位置する石川県七尾市大呑地域。ここは三方を山に囲まれ、一方を海に面する自然豊かな町です。能登半島一帯は伝統的な漁法や棚田、地域に根づいた文化祭礼などを含む暮らしと文化が評価され、「能登の里山里海」として世界農業遺産の認定を受けました。
しかし、少子高齢化や人口減少はこの大呑地域でも大きな問題です。農林水産業を主とするこの地域の人口は約800人、高齢化も進んでいます。この状況の打開を試みるべく、地域の有志と近隣関係者で「大呑地域農泊推進協議会」を組織し、大呑プロジェクトを立ち上げました。この取り組みは宿泊、飲食、自然体験プログラム、特産品開発などを軸に、各事業の連携を図りながら循環型経済を生み出し、地域の持続性を高めることを目的としています。
取材した「大呑ビレッジ 游心庵(ゆうしんあん)」(以下、游心庵)も、このプロジェクトの取り組みのひとつが結実したもの。地域住民が共同で管理している一棟貸しの宿なのです。
游心庵が建つのは、静かな山に抱かれ正面には棚田、その向こうには富山湾と湾越しに立山連峰を望む絶景の高台。
お話をしてくれたのは、游心庵の広報予約責任者を務める柿島一平さん。「この雄大な自然に囲まれた游心庵で、身も心もリフレッシュしていただけるといいですね」。観光のイメージとはかけ離れた一棟貸しの宿。訪れる人は時間を忘れて自然の中に溶け込み過ごします。ここでは野山の散策や川遊び、農作業や林業体験などグリーンツーリズム型のプログラムを体験することが可能。
訪れた人が、地元の人と接しながら地域のよさを体感し癒やされ、それぞれの日常に戻っていく。游心庵はそんな居所として生まれました。
懐かしさを感じる風景に似合う古民家づくりの宿
庭にはバーベキューコーナーも設けられました。地元の食材を調理して楽しめます。
瓦葺きの屋根に、外壁は漆喰と杉下見板張りで仕上げられた古民家風の建物。どこか懐かしさを感じるこの土地の風景にもしっくりと馴染みます。斜面の縁には月見台が。
既存の小屋組みを表した広がりのある空間構成
小屋組みがダイナミックな空間。
寝室から居間方向を見たところ。「約80㎡という床面積は大きすぎず小さすぎず一棟貸しの宿にするにはちょうどよかった。建物は2007年の能登半島地震の影響で傾いていたので、建物を持ち上げる曳方工事で基礎からやり直しました。建物は既存の骨格を生かしながら新しさも感じる空間に仕上げています」(岡田さん)。
プロジェクトで雇用を創出し、緩やかに地域の持続性を高めていく
大呑プロジェクトは「泊まる」「食べる」「地域の特産品」をセットで提供していくことを目的としています。「泊まる」は『游心庵』。「食べる」は地元の食材を使った日本食レストラン『粋な屋坂本』。「地域の特産品」は地元で栽培された米や日本酒、水産加工品など。
これらの取り組みは、地域住民にインパクトを与えるとともに新しい雇用も生み出しました。「游心庵のスタッフは宿泊客のフロント業務と建物管理をする人、掃除などのメンテナンスをする人、そして広報宣伝と予約管理をする私を入れて10名です。フロント業務をしているのは漁師さん。初めての仕事で戸惑ったようですが、今ではお客さまとも気軽にお話ししていますよ。外の人が来てくれることは、地域の人々にとってもいい刺激になるんです」と柿島さん。レストランは地元に外食の機会を提供し、特産品の栽培作業には大学生がインターンシップでやってくる、といった具合。
游心庵は関西在住の画商が別荘として使っていた建物。10年ほどあき家になっていたものを譲渡してもらい、宿泊施設として生まれ変わりました。
持続性のある循環型の地域をつくるといっても、現実的にはそう簡単ではありません。まずはこの地域に人を呼び込み、地域のよさを知ってもらう。そういった関係人口を増やしながら、緩やかに地域の持続性を高めていく。大呑プロジェクトはそんな大きな目標を持った足元からの取り組みなのです。
鳥の声と窓から差し込む朝陽で目覚める幸せ
間取りは、南に面した寝室と居間、北側にはキッチン、洗面浴室、トイレが配されたシンプルな構成。寝室のベッドは3つですが、居間に布団を敷けば6人くらいまでの宿泊が可能。
寝室ではベッドの中から雄大な景色が眺められる至福の時間を過ごせます。寝室西側の窓から見えるのは森の緑。ブラインドは設置されていますが、下げずに過ごす方も多いそう。
生活に必要なものはそろっているから、いつまでも滞在できそう
居間の隣に位置するコンパクトなキッチン。調理道具や食器などもそろっています。
洗面ボウルが2つある洗面室。浴室は檜板張りで仕上げられたすがすがしい空間。腰高の窓もついているので、浴槽につかったまま外の景色を眺めることも。石けん、シャンプー、リンスなども用意されています。
地元産品のラインナップも着々と増えています
お話を聞かせてくれた柿島さん。室内はレベル差を設けた空間なので、こんなふうに段差に腰かけてくつろぐことも。「自分の過ごしやすい場所を見つけてほしい」という設計者・岡田さんの願いから生まれた仕掛け。
大呑ブランドの日本酒とお米はパッケージデザインもおしゃれ。
今取り組んでいるブランドしいたけの栽培。「インターンシップで来てくれる大学生が心強い助っ人です」(柿島さん)。
間取図
DATA
敷地面積/817.00㎡(247.58坪)
延床面積/81.60㎡(24.73坪)
用途地域/無指定
建ぺい率/60%
容積率/200%
構造/木造軸組工法
竣工/2020年8月
素材
[外部仕上げ]
屋根/瓦葺き
外壁/漆喰塗り、杉下見板張り
[内部仕上げ]
1階床/能登ヒバ、杉、タイル
壁/漆喰
天井/小屋組み表し
設備
厨房機器:サンワカンパニー
衛生機器:TOTO、パナソニック
窓・サッシ:YKK AP
施工/森下建工
設計/岡田翔太郎(岡田翔太郎建築デザイン事務所)
撮影/松井 進 ※情報は「住まいの設計2021年10月号」取材時のものです