建築家の仲條雪さんの実家について、子ども時代の思い出から、今だから話せるエピソード、実家を巣立つときの心境などをざっくばらんにお話を伺いました。

建築家中條雪氏
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目次:

仲條雪さんにとって実家とは?仲條さんにとって、実家とはどんな存在なの?

仲條雪さんにとって実家とは?

A. 街や暮らす人も含めて、帰る場所

 「兄が2人いるのですが、父が私たちの部屋の壁をぶち抜いちゃったので、子ども部屋は広かった(笑)。 ただ、築35年と老朽化していたし、梁も落ちて強度的にも怪しくなってきて……。 そんな折、父から“おまえ、建ててみるか?”と言われたんです」
建築家中條雪氏の父親のアトリエ

私が子どもの頃、父・仲條正義がデザインした家具(写真上)に合わせて、スパンを決めました」という父親のアトリエは、前の家の居間の雰囲気を引き継ぐ設計。愛猫も居心地がよさそうだ

建築ユニットJAMMSの建築家・仲條雪さんの作品「仲條パパの家」は、彼女の実家。

「あまりこじゃれるな。とはいえ、少しはこじゃれろ。建築家が建てたような家はイヤだからな」——。

これが父親からのオーダー。さながら禅問答のようなオーダーだったが、それもそのはず。

お父上は日本を代表するグラフィックデザイナー・仲條正義さん。

自分の父親とはいえ、一流クリエイターの希望に沿うのは大変そうですが……。

「前の家では、父は居間でよく仕事をしていたので、新しい家でも父のアトリエはその居間と同じようなつくりにしました。
ただ、母にやさしい家にしようと考えていたので、私や父が“こっちのほうがカッコイイ!”と突っ走らないように気をつけてましたね(苦笑)」

しかし、雪さんは実家が完成したら、ひとり暮らしを始める。せっかく、思い入れのある家ができあがったのに、なぜ?

「亡くなった母とは距離が近すぎて、私も大好きだったけど、母も私を頼りにしていて、このままじゃマズいって思って……。
この家を建て替えるとき、いい機会だからと35歳でひとり暮らしを始めました。
今は横浜に住んでいますが、実家には私の事務所を構えているし、父の顔を見に週1回は顔を出しています」

仲條さんにとって、実家とはどんな存在なの?

階段を挟み、雪さんの事務所の隣に父親のアトリエがある。部屋にいながらにして互いの存在を確認できる。

建築家中條雪氏事務所の隣の父のアトリエ

「吊り戸棚がガラスで、父がよくのぞくので、クッションでふさいでいます(笑)」

仲條さんにとって、実家とはどのような場所なのでしょうか?

「前の家では、新盆になると庭先に出て、家族みんなで迎え火をするのが恒例。父が“ご先祖さまに飲ませてあげよう”と言って、
それを口実に縁台でお酒を飲んだり(笑)。
夏の夕方になると打ち水をして、庭に集まったり……っていうのが実家の原風景ですね」

まさに古き良き昭和の趣のある雰囲気。

今の実家でもその雰囲気を残している空間になっているとか。

「でも、新盆には家族が集まって迎え火をしています。私にとっての実家は、街やそこに暮らす人たちも含めて、帰る場所。
誰かに聞かなくてもどこに何の店があるか分かっていたり、話し込むわけじゃないけど“薄〜い”知り合いがいたり、ホッとしますね(笑)」

pfofile


建築家中條雪氏

1970年、東京都生まれ。'94年、日本大学理工学部建築学科卒業後、ワークショップに入社。木下道郎/ワークショップを経て、’02年、建築家・横関和也が主宰する建築ユニット JAMMSに参画photo seiji ito