ESSE世代を直撃する乳がん。全国に9万人の患者がいる今、女性としてけっして他人事ではありません。
もっと乳がんについて考えるために、読者の体験記をお送りします。
語ってくれたのは、子どもが2歳のときに乳がんが発覚し、子育てや家事・育児を続けながら治療・手術に踏み切った三隅夏美さん(仮名)です。
読者の乳がん体験記。「全摘、抗がん剤治療を経験。5年がたち、ひと区切りです」
<三隅夏美さん(仮名)プロフィール>
夫、長男の3人家族。31歳で出産し、子どもが2歳になる頃しこりが気になり乳腺外来へ。乳がんと診断され乳房切除手術、リンパ節切除、薬物治療を経験。会社勤めのかたわらホルモン治療を継続する。
●出産後、職場復帰してから乳がんが発覚
長男を出産して6か月で断乳し、職場に復帰。ある日ふと、乳輪のそばの辺りに、しこりのようなものがあることに気づきました。
でも、仕事の忙しさと、慣れない保育園通いの大変さなどが重なってバタバタと慌ただしくしており、「母乳が残っているのかしら?」と、勝手に自己診断をしてしまったのです。
その状態のまま、あっという間に月日が過ぎ去り、しこりがゴリゴリと手のひらに当たるようになったことで不安が増し、いよいよ受診を決心。同僚に紹介された乳腺科外来へと出かけました。
その日のうちに悪性の疑いで細胞を採取する検査を受け、1週間後に再度病院を訪れることに。そして、医師が告げた結果は、進行性の乳がんでした。
そのとき「いったいこれからどうなるのか」と目の前が真っ暗になったことを覚えています。
ちょうど少し前に、花嫁が乳がんで亡くなるテレビドラマを観たばかりでした。ずっと健康できた自分が、まさか同じ病気になるなんて…と。
しこりが直径5cmもあり、リンパ節への転移もあったので、医師に病状の説明を受けたとき、乳房全摘の手術は仕方ないと諦めていました。でも、抗がん剤やホルモン剤の薬物治療はなんとか避けられないかと思ったのです。
私は、どうしても、もう1人子どもが欲しかった。でも、夫に「子どもをもうけることより、君が長生きすることの方が家族みんなの幸せ」ときっぱり言われ、目が覚めました。
●治療、仕事、家事、育児…とにかく必死でした
手術を受ける前に、薬物治療を受けました。具合がとても悪くなり、ご飯を食べられず、みそ汁だけで過ごしたこともありました。
術後の抗がん剤の副作用で髪の毛が抜けた頃が、いちばんつらかった。夏場の暑い時期、暑くてもウィッグを外すタイミングがわからなかったんです。外した途端に笑われたこともありました。胸から脇の下にかけてぽっかりとへこんだ傷口は、半年間直視することができませんでした。
あの頃、どうやって生きていたのか、仕事、通院、保育園の送り迎え、家事…とにかく必死でした。
会社と相談して仕事を調整してもらい、有給休暇を使いながら、毎日をひたすら乗りきりました。でも、今、思い返すと、仕事を辞めなかったことが本当によかったと思います。あの忙しさのおかげで、かえって気持ちがまぎれましたから。
●同年代の乳がん患者が集う会に入り、苦しみを分かち合うことで救われた
いちばん救われたのは、インターネットで同じ若年性乳がんの人たちの会を見つけたことでした。同じ悩みをもつ人がこんなにいるのだ、ということだけでホッとできました。
みんなと会って、髪の毛が抜けるつらさを分かち合ったり、温泉に行ったときにどう胸を隠すか情報交換したり。
がん患者の会はいろいろありますが、年代によって悩みは異なるので、同年代の人たちと出会える会に入ることが重要だと思いました。
私自身は体にシリコンを入れることに抵抗があり、乳房再建をしようとは思いません。いい下着もあるので、普通にしているとまったく気づかれていないと思います。
手術から5年が過ぎ、ホルモン治療もひと区切りかと思えば、10年続けるべきという声もあり、迷いもあります。でも今は、再発させずに生きていくためにはなんでもしようと思っています。
子どもをもう1人とは思わなくなりました。子どもにかかったはずの教育費を、自分の趣味に使おうと決めたことでふっきれ、今は、美容の勉強を始めています。