これは、正直、気が重いことでした。まだ、目の前に夫はいるのに、遺影のことを考えると死が現実味をもって迫ってきます。約10年の単身赴任の間、1か月以上会わないことはまれでした。コロナで県境またぎの往来が制限されると、毎日のようにLINEでビデオ通話し、長いときは1時間近くもおしゃべりしていました。それなのに、もう写真でしか会えない人になってしまうなんて悲しすぎる…。でも、葬儀をするなら用意しないわけにいきません。

自宅に戻った私は、タブレットを起動して保存していた画像フォルダを開きました。

タブレットフォルダ画面
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私たちはよく旅行に行っていたこともあり、夫1人で写っているものもたくさんあります。それぞれのファイル名は西暦や場所を入れていたので、直近10年分くらいを見るのも簡単でした。

タブレット写真画面

ところが「中年夫婦あるある」で、最近の写真はいい顔が少ないのです。よく言えば落ち着いているけど、悪く言えばむっつり。お互いを撮り合っても年のせいかあまり盛り上がらないので、人物写真は年々少なくなり、風景や食べ物ばかり撮るようになっていました。

●決めたのは「これから先、毎日ずっと眺めていられる顔」

若い頃の写真も違うし、甥っ子と遊んで笑顔満開の写真も違う…。悩みながら拡大して、何度も見直してやっと決めたのが、夫が楽しみにしていたイベントに2人で行ったときのものです。

写真

決め手は「ずっと見ていられる顔」。

そのイベントの帰り道、景色のいいところを通りがかり、「ここで撮ってあげるよ!」といって、スマホでパッと撮ったスナップ写真。あまり構えていなかったせいか、楽しい時間を過ごして満足していたのか、堅苦しくない、笑いすぎてもいない、穏やかな笑顔です。

どうしても気に入るものがなかったら葬儀後に別の写真に変えようと思っていましたが、これなら大丈夫。背景も生かせます。個人的な感覚なのですが、背景が色無地に加工された遺影を見ると悲しくなってしまうので、背景はそのまま生かしたかったのです。

夫は遠方の自宅でひとりで亡くなり、棺を東京に搬送するという手順を踏んだため、葬儀までに日数がかかっています。その分、夫に思いを馳せる機会もたくさんもらいました。

人として、どうだったのか。人生でなにを大切にしていたのか。人生をどう生きたのか。

戒名にいれる字を考えたり、遺影を選ぶことも、ただ葬儀の準備のためではなく、夫という人間を偲ぶために与えられた貴重な時間だったのだと、今あらためて気づかされています。

【佐藤由香さん】

生活情報ライター。1968年埼玉県生まれ。編集プロダクションを経て、2011年に女性だけの編集ユニット「シェルト・ゴ」を立ち上げる。料理、片づけ、節約、家事など暮らしまわりに関する情報を中心に、雑誌や書籍で執筆。