国立がん研究センターがん対策情報センター2017年の統計

によると、9人に1人の女性が生涯のうちに乳がんと診断されています。

中島ナオさんは31歳のときに乳がんが発覚。現在は進行性のがんの治療をしながら、脱毛など頭髪に悩みを抱える人もファッションアイテムとして楽しめる、心地よい素材のヘッドウェアを提案する「

N HEAD WEAR」や、脱ぎ着しやすく、下着をつけていなくても背筋を伸ばし華やかさをまとえるリラックスウェアブランド「Canae

」を手がけるなど、精力的に活動しています。

中島さんががんをきっかけに自分とどう向き合い、さらに「がんをデザインする」という目標を掲げるに至ったのか。お話をうかがいました。

中島ナオさん
中島ナオさん
すべての画像を見る(全5枚)

がんのイメージと現状を変えていきたくて。「がんをデザインする」中島ナオさん

現在38歳の中島さん。生活に新しい心地よさを提案するQOL(クオリティ オブ ライフ)デザイナー、そしてがん治療研究を応援するNPO法人「deleteC」の発起人として注目される存在です。大学を卒業後は空間デザイナーとしてメーカーに勤務、20代後半に転職して教育系のNPO法人で働いていました。

「もともとマイペースというか、将来について具体的に計画を立てるタイプではなく、日々をのんびりと生きていました」と笑顔で語る中島さんが、乳がんにかかっているのがわかったのは、2014年。31歳のときでした。

「がんというとドラマに出てくるようなシリアスな“告知”のイメージがありましたが、私の場合は、複数の検査を重ねていき、少しずつ病状が明らかになっていきました。今でこそ自分の身に起きたことを落ち着いて話していますが、自分ががんにかかっているとわかったときは、もちろん、とてもそんな精神状態ではありませんでした」

●がらっと変わった生活。自分の可能性を少しでも広げようと、大学院へ

当時はオフィスへ行って働く生活をしていた中島さん。生活が一気に変わったといいます。

「会社に病気について話したのは、治療方針を考えようと決断したタイミングでした。相談した翌日から休みをいただき、会社を往復する生活から、病院へ通う日々になりました」

帽子など展示されている様子
N HEAD WEARは伊勢丹新宿本店での展示も
もっとも大きく変わったのは、“自分自身との向き合い方”。がん治療の経験をきっかけに、中島さんは大学院でデザイン教育を学び始めました。

「がんを患うというと、なにかを手放すことになるイメージがありました。会社の社長だったら休業して治療に専念とか、俳優さんなら人前に出る仕事を降板するとか。でもそのときの私はこれといった肩書きもなかったですし、もちろん降りざるを得ない舞台もない。もし決められたような道があるなら逆走したいと、やりたいことを少しずつでも積み上げていってみよう、と思いました。

だれにでも心の中に『いつか〇〇してみたい~』というような、ぼやっとした願望ってありますよね。それを『いつか、じゃなくて今やるんだ!』と気持ちをきり替えることにしたんです。小さいことも含めて、挑戦の数を増やしていこうと決めました。」

大学院への進学も、そのひとつ。

「デザイン教育の授業以外にも、10歳以上年下の大学生に混ざって合唱の授業を受けたり、学内にある農園の一画を借りて野菜をつくったりと、興味をもてることには次々と挑戦をしましたね。社会学、心理学といった、20代前半の大学生の頃にはほぼ縁のなかった学問にも触れて、学びを深めた時間は充実していました」

●大学院在学中に再発・転移が発覚し…

お話をする様子の女性
大学院在学中の2年は、同時に、がん治療の経過を見ながら過ごす時期でもありました。再発しなければ、「つらい治療をしていた時もあった」と過去のことにし、病気になる前のような生活に戻っていけるかも…という気持ちもありましたが、在学中に再発・転移が発覚します。

「大学院を修了後は就職を考えていましたが、再発・転移がわかり、がんを治すことから、がんはあるものとして、その進行を抑えることへと、治療目的が大きく変わってしまったんです。終わりの約束がない治療をスタートすることはとても悲しい現実でしたが、そこでまたひとつ、自分自身に対して覚悟が決まったというか…。

「今ここから、どうするか」と過去の自分や周りと比べるのではなく、今の自分を見つめて考えるようになりました。少しでも心地よくするための工夫。よりよい選択肢を探すこと。失ったものではなく持っているものに目を向け、自由に発想し、本気で行動し始めました」

●名前と病名を公表することへの葛藤

漆のお椀
副作用による味覚の変化の時期を支えてくれた漆のお椀
副作用で辛かった時期に、生活を支えてくれた身近なアイテムを商品化できたらと思い、クラウドファンディングに挑戦しました。大学生のときにデザインし、自分が使い続けてきた漆のお椀を販売するという10年越しのプロジェクト「hitowan」。いつかやるのではなく、今絶対に叶えたい。その思いが自分を奮い立たせてくれました。

「インターネット上で、自分のプロフィールや病状について語るのは勇気のいることではありましたが、自分のストーリーを添えて商品化を実現したいという思いがあったからこそ、決断しました。叶えたいことを実現していくためでした」

「葛藤はあったけど、行動したい! と思えた」と、中島さん。

「たとえば、すでに知名度のある方が、がんとの闘病をきっかけに何かを起こすストーリーは見たことがありましたが、だれにも知られていない、何者でもない人間ががんを患った後になにかを起こす、そういうストーリーは、当時思い浮かびませんでした。だから自分で、そういう話を見てみたい、と思ったんです。動けば、成功例にはならないかもしれないけど、一事例にはなる。一事例になれば、それだけでも意味はあるのかな、と意志を固めました」

それが2017年はじめのこと。年末には起業を果たします。

「大学院では自分の可能性や夢中になれるものを模索していました。再発・転移を経て、hitowanを商品化した後は、髪の毛があってもなくても楽しめるファッション&ケアアイテムN HEAD WEARをかたちにし、起業。がんをデザインするという目標を掲げ、今も活動を続けています」

●その時々のリズムを大切に、自分に正直に過ごす

マスクをつけた女性
N HEAD WEARとCanaeの服を着て(インスタグラム@naojimaより)
治療を続けながらも、とても前向きに見える中島さん。しかし、「つらいときはもちろんあります」とも語ります。そんな毎日を過ごすために大切にしていることは、「程よいゆるさをもっておくこと」。

「治療を続けながら働くのが大前提。治療の内容や病状によって、私の体調もまちまち、というのが偽りのない現実です。だるくて一日中横になっていたい日もあれば、深夜まで目が冴えて眠れない日もあります」

そこで実践しているのが、体のリズムに合わせて、その日にできることをする、できない日があっても自分を責めない、という考え方&暮らし方。

「自分の状況や体調、考えは“変わっていいし、変わっていくもの”と思っておけばいいのかなと。そもそも、これだけ変化の多い生活を送っていること自体が、20代の頃の自分からしたら信じられないですし(笑)。でもそれは、がんに限ったことじゃないのかなって思うんです。だれでも年齢を重ねていけば、ライフスタイルも家族のメンバーも変わったり身体にも変化はありますよね。変わり続ける日々を過ごしていくには、計画を立て過ぎず、程よいゆるさをもっておく。このバランス感覚が、毎日を楽しむうえで大事なのかなと思います」

関連記事

がんを治せる病気にしたい。38歳、治療を6年続けながら描く“希望”

【中島ナオさん】

1982年生まれ。デザイナー。2014年春、31歳の時に乳がんを患っていることがわかる。2017年に「hitowan」プロジェクトを始動させ、ナオカケル株式会社を設立。ヘッドウェアブランド「N HEAD WEAR」、がん治療研究を応援する「deleteC」プロジェクト、リラックスウェアブランド「Canae」を手がける。公式サイト

https://naonakajima.com/