「彼女が『お母さんには生きてほしい』と言ってきて…。薬のおかげで、やっとリウマチの痛みから解放されたのに、今度はがんだなんてかわいそうすぎる。それに、私はもっとお母さんと一緒にいたい。そう言って号泣したんです。その姿を見て、気持ちが変わりました。この子を遺していくわけにはいかない。生きなければいけないと強く思ったんです」
ただ、皮肉なことに「生きよう」と思ったとたん、「死」への恐怖が生まれました。
「手術に備えて検査を受けるうち、自分のなかに、がんという恐ろしいものがすみついている実感が湧いてきて…。助からないかもしれない、と気分はどんどん沈んでいきました。勝手なものですよね。人生の幕を下ろしてもいいなんて思っていたのに」
●手術を受けたことを後悔し、「死」を望んだ3日間
すべての画像を見る(全2枚)舌がんと告げられてから1か月後の2月22日。手術はリンパ節と舌全体の6割以上を切除し、太ももの組織を移植するため、11時間以上にも及びましたが、無事成功。しかし、そこから新たな苦しみが始まりました。とくにICUに入っていた3日間は「地獄にいるようだった」と振り返ります。
「いざ手術をしてみたら、うまくしゃべれないどころか声も出ない。太ももから移植した舌も、まるで大きな肉の塊が口の中に入っているかのようでした。こんなことになって、私はこれからどうやって生きていけばいいのか。不安に襲われ、底なし沼に落ちたような気分でした。すると、心のなかに真っ黒な感情が湧いてきて。口内炎だと言い続けた医師たちに対する恨みと怒りです。“あのとき異変を見過ごさずにいてくれたら、私は舌を失わずにすんだかもしれない…”。せっかく命を助けていただいたのに、そんなことを考える自分がいやになりました」
術後の痛みと後悔、怒りと自己嫌悪が心のなかでうずまき、苦しくて「死んでしまいたい」とまで思った日々。でも、そんな堀さんを底なし沼から引き上げてくれたのは、毎日面会に来てくれた家族と、医師や看護師さんの存在でした。
「24時間つきっきりで見てくれている看護師さんの姿を見て、自分は今『生きている』のではなく、みんなに『生かされている』。それなのに、死んだ方がよかったと思うなんて本当に申しわけない。ふと、そう気づいたんです」
再び前を向いた堀さんは、つらいリハビリにも懸命に取り組み、予定より2か月近くも早く退院。家族の元へ帰りました。
同じ苦しみをもつ人に届けたい思い
●貴重な経験を経て、新しく生まれ変わった
家族との絆の強さをはじめ、「がんになったからこそわかったこと、がんが教えてくれたことがたくさんある」と堀さんは言います。
「同じ年にデビューした“花の82年組”の仲間たちとの友情、彼女たちの優しさにあらためて心を打たれましたし、仕事関連の方たちからも大きな励ましと愛をいただきました。感謝の心をもつことの大切さを身をもって知ったのは、とても大きな気づきです」
さらに、がんを公表した直後から励まし続けてくれるファンの皆さん、ブログ読者たちの存在も。
「皆さんのメッセージから、世のなかには大変な病気を抱えている方が大勢いらっしゃることを知りました。ご自身もつらい渦中にありながら、私を励ましてくださって…。本当の強さや優しさとはなにかを教えていただきました」
つらい病気を乗り越えて、明るく前向きに生きることを決意した堀さん。
ESSE12月号のロングインタビューでは、子どもたちや夫がしてくれたサポートについてや、がんからもらったという“キャンサー・ギフト”についても教えてくれました。こちらもぜひチェックを!