夫の片づけられない大量のマンガ
たとえば、数年前の納戸のリノベーションのとき、夫がひとり暮らしのころから買い込んだ本やマンガが大量に押し込んであるのを、工事の前に整理するよう何度もお願いしましたが、腰を上げてくれませんでした。
やらなくてはいけないとわかっているのにやりたくない、という彼の意思が、夫婦としてそれなりの年数を共にしてきたことで理解できたのと、ケンカで膠着(こうちゃく)状態になる猶予すらなかったため、「わたしが片づけ隊長になるから一任してほしい」と冷静に伝えました。
とはいえ、無慈悲にすべてを捨てるのではなく、残せる量を先に決め、優先順位の高いほうから本を選んでもらって、収まらないものは知り合いの古本屋さんに買い取ってもらう手配をしました。マンガは、専用の収納ケースを買ってシリーズごとに収めて整理しました。
そもそも本人がやりたがらない作業に、言葉かけだけでゼロから取りかかってもらうのは、難易度が相当高い。それはまるで、自分からカレーが食べたいと言い出したわけでもない子どもに、今夜どうしても家族でカレーが食べたいからと、ゲームを中断させて材料の買い出しを頼み、帰ったらすぐ調理に取りかかってもらうようなもの。
だったら、食材の準備と野菜の皮むきくらいまでは料理に手慣れている大人がやってあげて、具材を同じ大きさに切って鍋に入れて煮込む、というプロセスからお願いする。そうすれば、夕飯はいつも通りの時間にでき上がり、子どもは「自分でカレーをつくった」という達成感が得られ、みんなでおいしくカレーを食べられるでしょう。
片づけは、相手が大人であっても、同じ目線の高さで正論で説得するのではなく、できる人ができない人のぶんをカバーする心構えで取り組むと、衝突は避けられ、目的を早く遂行できるように思います。
「捨てる」ではなく「引き継ぐ」
また、実家の片づけにおいても工夫が必要です。わが家でも、義父が亡くなり、義母がマンションにひとり暮らしをすることになったとき、夫と一緒にものであふれた義実家を片づけました。
このとき、義母を観察しながら思ったのは、思い出のものを捨てたくないというより、ひとつひとつの要不要を判断することや、片づけ作業自体に体力的なしんどさを感じてやりたくないんだな、ということでした。
そこで「面倒なことは全部私たちがやるし、なるべく捨てずに、欲しいと言ってくれる人に引き継ぐから、任せてもらっていい?」と提案したところ、義母はホッとした表情で承諾してくれたのです。「どうしても捨てたくない」というものはじつは少なくて、結局は「面倒くさい」という感情から片づけに対して拒否反応を示していたようです。
時間も体力もある若い人に「こっちが全部片づけてあげるから」と申し出るのは、一概におすすめはしませんが、高齢の親が相手なら、引き受けてもいいように思います。
家族を見ていて思うのは、ものを捨てたがらない人も、ものにあふれた家で暮らしたいわけではないということ。スッキリ片づいているほうが気持ちいい、という感覚は同じで、ただ「捨てるものを決める」という行為が、面倒だったりつらかったりする。その役割を担ってあげるのが、「ケンカせずに片づける」を速やかに達成する、現実的で確実な方法ではないかと思います。
また、言葉で気をつけるのは、「捨てる」という表現をなるべく使わないこと。
実際、ゴミとして処分するのはいよいよ最終手段として、メルカリや不用品買取サービスを利用しながら、「引き継ぐ」を実践しながら片づける努力をします。
片づけを拒む感情には、「まだ使えるものを捨てるなんて」という良心の呵責(かしゃく)がはたらいているケースも多いもの。「この家に置いておくより、もっと活用してもらえる場所に移動させる」というイメージがもてると手放しやすくなるので、そのための言葉かけも意識しています。
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