78歳でX(旧Twitter)を始め、フォロワー数は20万人超え、シニアインフルエンサーの大崎博子さんが91歳で亡くなったのは2024年7月23日のこと。Xでは多くのフォロワーさんからの悲しみの声が広がりました。海外に住む娘の娘の夕湖(ゆうこ)さんは、博子さんとの日課のLINE 電話で「じゃあまたね、おやすみ」と会話したのが最後で、それはいつもとなにも変わらなかったと話します。娘さんから見た、母・博子さんの生き方や最期の迎え方、食事のことについて教えてもらいました。

大崎博子さん
生前の大崎博子さん(撮影:林ひろし)
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楽しむ気持ちを大事にし続けた、母が選んだ最期の旅立ち

私は母・博子の一人娘で、20代からイギリスで暮らしていました。30年以上離れて暮らしてきたので、母は60代半ばから91歳までひとり暮らしでした。

離れて暮らし始めた最初の頃は、国際電話がとても高かったので、手紙でのやりとりが中心でした。当時、私にボーイフレンドができたことなど、何でも隠すことなく伝えてきました。幼い頃から、「あれはダメ、これはダメ」と言わない母。母と娘で信頼関係を作ることを大事にしていたので、何でも話す親子でしたね。友達からはそんな母をうらやましがられました。

博子さんの娘・夕湖さん
博子さんの娘・夕湖さん(撮影:北原千恵美)

その後、スカイプで無料通話ができるのを知って、母にパソコンを習うようにすすめて、週1回はパソコン越しにお互いの顔を見ながら話すようになりました。

LINEアプリを使ってスマホでも通話ができるようになったのはここ15年ぐらいでしょうか。パソコンは電源を入れて、起動して、と手間が多いですが、スマホだとタップひとつで通話できます。母にとっても、スマホの操作の方が気楽だったようで、そこからほぼ毎日LINE電話を使って会話をするようになりました。

話すのは、日本の夜7~8時ぐらいです。ちょうど母の夕食の時間帯なので、食べながら話すこともしばしば。2~3分のこともあれば、数十分話し込むこともあったり、日によってバラバラです。今日食べたものの話から、Xに投稿した内容のこと、私の子どものことなど、日常的なことを話していました。

最後の会話は、前日の夜。食器について話した

亡くなる前日もいつもと同じように会話し、なにも変わったことはありませんでした。電話越しに、食器が好きな母から、「買いたいと思う食器があるんだけど、ものはもう増やしたくないから…」と話がありました。それなら、買った方がいいじゃない、増えたっていいじゃない、と私は話しました。

だって、Xに食事の写真を投稿するし、そういうのが楽しいんでしょ? と母に言ったら、「うん、次に見つけたら買おうかな」と言いながら、その日は電話を切りました。その日はXでも、夕飯の写真を投稿したり、おやすみなさいとつぶやいていたので、まさか、こんなに突然にという驚きがありました。

訃報を聞いてロンドンから急遽帰国しました。近所の人から母の家の電気がついていないことや、Xに投稿が上がらないことで、心配になったと連絡をもらったのです。そのおかげで、すぐに鍵を開けてもらい、母の様子を見に行ってもらえました。

そのときはベッドの上で息を引き取ったあとでしたが、発見は早かったと思います。前々から、なにかあったときのために、同じ団地の人に鍵を預けておいたり、母の知人と連絡先を交換していたりしたので、本当に助かりました。