「写真」で感じる、犬と過ごした年月の流れ
すべての画像を見る(全16枚)ノーマルモードでも接写に強いので、カメラを構えているときに犬が寄ってきてもピントを合わせてくれる。カメラが小さいので、犬からしたらにじり寄られても圧迫感が少ないのでは。
しかし新陳代謝の変化なのか換毛が完成するのに以前より時間がかかるようになった。最近は輪郭も少し変わってきて、泳がなくなったのも含め、年月の流れを感じる。
TG-7はオフの状態から起動までが早いのも助かる。眠っている犬が白目をむいているところも逃さずに撮れた。
眠っているときの白目はレアリティ★★★、寝ながら開いた口の隙間から歯が見えている寝顔は★★★★である。★★★★★は秘密。
ズボンのポケットにも難なく入るので、散歩に行くときも気軽に持っていける。やはり片手はリードを強く握っているので、軽量だとこんなにラクなんだな。
6月は家の離れの一室に工事が入っていた。みんな疲れていたが、犬もなかなか穏やかではなかったので、できるだけ犬を連れて出かけていた。
下旬に祖母が亡くなった翌朝にも工事が入っていて、軽自動車の助手席に犬を乗せて家を出た。着いたのは無法地帯みたいな川で、たまにおっちゃんが釣りをしているが、この朝は私たちしかいなくてラッキーだった。
携帯をスピーカーにして、音楽をランダム再生した。YUKIの「うれしくって抱きあうよ」が流れたので、犬と歩きながら、耳をかたむけて心を歌に委ねていた。“僕と君はひとつさ ”と歌うYUKIの甘やかな声と強い詞から、ドラマ「アンメット」の第10話のある台詞を思い出した。
脳には内側前頭前野という場所があって、そこで自分と他者を区別するらしい。だが大切な人のことは区別しなくなるという報告があるそうだ。つまり大切なひとを自分自身のように感じてしまうのだと、ドラマの中で三瓶先生が成増先生にそう話していた。“僕と君はひとつさ”という歌詞も、それほど君が大切な存在ということです。
それで言えば、私の内側前頭前野は犬を他者だとは到底区別してへんやろな。あの子のストレスは私のストレスで、あの子が安らかであれば私も安らかだ。