度を過ぎたおしゃれがNGな理由
おしゃれは度が過ぎると、見る人を驚かせても、心地よさや安心感を与えにくくなるものです。たとえば塩味のききすぎた揚げ物のようにもたれるのです。
私がそのことに気がついたのは、あるニュース番組で、いつもは清楚なスーツ姿の男性アナウンサーが、珍しく白いワイシャツでなく黒いワイシャツを着てきたときでした。ところがこの方の着こなしは、インパクトの強い黒であってもキザには見えず、この人の全体像にマッチしていたのです。この人は、こんなおしゃれができる人なんだ! と思わずその人自身を見直してしまうような好ましい印象を受けました。塩味のききすぎた揚げ物とは反対の、塩加減がほどよいフライでした。
それ以後、その人をよく観察していくと、平凡な装いのときでもズボンの太さなどバランス感覚に優れているとわかりました。スタイルや立ち姿がよいことでも得をしていますが、おそらくそれをご自身もわかっているため、表情や身のこなしも行き届いていて、しかも自然な品位が感じ取れます。ほとんどは当たり障りのないスタンダード型で、控えめな色合いのスーツ姿ですが、時々よく選び抜かれたオリジナル柄のジャケットや、ワイシャツの色とネクタイ模様の絶妙な組み合わせで、目を楽しませてくれます。
こうしたメリハリも大事ですね。それは着ているその人自身の、心や気持ちとの取り組み方のことでもあり、思いきりおしゃれを装いたい気分の日と、穏やかな気分で人と接したり自身が平穏でありたい日の装いを分けるということです。
かつては、お祭りや記念日であるハレの日と、それ以外のケの日を分けて装いを変えたように、衣服は内面と無関係ではなく、心を映し出すいちばん外側の皮膚なので、内面を上手に表現するためにも、気持ちに逆らわない装いを心がけたいと思いました。
服装は「自身のためのもの」でもある
昔の日本人の和装は、若いときと高齢になったときの着物をはっきり区分して、あえて年齢がよくわかるように装っていたようです。たとえば若い女性は胸高に絞めた帯に、華麗な柄や明るい色合いの着物。老人は帯を低めにして、地味な色柄の着物、といったふうに。
逆に西洋人は、年齢を重ねれば重ねるほど、あえて華やかな装いで老いと勝負してきたような気がします。人は首元から老けるといわれるので、大き目なネックレスなどの装身具を身に着けてきました。それは日本人と真逆でありながら、まったく同じように年齢を意識して装った結果であり、外観は内観の表現であった点で双方に違いはないのです。それを知れば知るほど、服装は人に見せるためであると同時に、自身のために存在するものだと気づかされるのではないでしょうか。
とかく無意識に着こなしている服装も、ときにはあらたまった服装…、ときにはカジュアルにふるまえる服装…と、意識して着こなしを考えていくと、よりいっそうその人の人格や表現力が現れることに結びつくでしょう。そしておしゃれの大事なポイントは、かっこよく歩くことです。姿勢を正して、ときにはモデルさんの歩き方をマネしてみては? 服装をよく見せるための特殊な歩き方ですから、ちょっとした運動にもなりますよ。
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