大人になると感動が減る?

たとえば、海外旅行に行って言葉も通じない知らない街をうろうろする1日はとても長い。それはきっと子どもたちと一緒で、なにもかもが初めての体験だからだ。すべてのことが珍しく心がいちいち反応している。家にいる一日とは時間のスピードがまるきり違う。

じゃあ、毎日旅をすればいいのかというと、それはしんどいし、数年もすれば旅にさえ慣れてしまうだろう。

40年も生きていたら、大概のことには驚かなくなる。空港で飛行機の写真を撮らなくなったし、渋谷駅のエスカレーターの行列にも慣れたし、ハーゲンダッツのアイスをあけるときの胸のときめきも昔の半分になった。

パン
甥っ子たちと一緒につくったパン
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大人になるって、なんてつまらないんだと思う反面、楽になったなあとも思う。

だから、戻れるとしても私はもうあの頃に戻りたいとは思わない。楽しいことが今より2倍楽しかったのと同じで、辛いことは今より2倍辛かった。人に言われた少しのことでも気にして傷ついて、とても生きづらかったから、ある意味では今がいい。「自分は自分」と諦めたり妥協もしながら自分を守れるようになった。

でも、雨上がりの虹には感動するし、雪が降ったら今もどきどきする。地元の山の四季折々の風景や夕日を見て感動するのは、むしろ今の方だ。同じ場所で同じ時間を過ごしても、30年前とは見えているものが違う。今の私にしか感じられないことがある。そのことを、しっかりと喜び、噛み締めていたい。

子どもから学べること

一方、愛媛の甥っ子たちの感性に触れるとき、その瑞々しさに感心する。時に、面倒やなあと思ったりもするけれど、一瞬一瞬の出来事に反応しながら生きる様は、動物的でかっこいい。大人になったからよかったこと、子どもだけが感じられること。それを交換しあって生活できるとおもしろいな。

子どもたちと接するとき、必ずしも自分が正しいと思わないようにしたい。彼らは私の何倍もゆっくりと生きているのだと思って、日々の遊びを観察したいし、ときには混ぜてもらってその視点で世界を見つめたい。

お花見
お花見をしたときの1枚

ある日、甥っ子が「秘密の地下室を教えてあげる。ここで待っててな」と言う。しばらくすると「おーい! おーい」と天窓から手を振っているではないか。これ、私たちが30年前にやってた遊びと同じだなあ。だれも教えてないのに。裏路地を通って屋根へ登って、天窓から手を振っていたのだ。なるほど、私たちがいるこの部屋が屋根に登った彼から見たら秘密の地下室なのか。私たちは秘密の地下室から、甥っ子たちに手を振った。子どもはみんな天才だと、心底そう思う。特別なオモチャはなくても、半径50メートルで冒険ははじまるのだ。

私たちだって、いろんな経験を積んだ上で、今しかできないことがあるに違いない。あれやこれや宿題は相変わらず山積みだけど、肩の力を抜いて日常の中でこそ冒険の旅に出よう。

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