●少し不適応でも、生物は生きられる

あまりにも「生きること」に対して不適応な場合は別として、取り立てて適応的でなくても、あるいは、ちょっとくらい不適応でも、生物が生き続けることはできると池田先生は言います。

「ヒトの無毛という形質も、服がなければ体温調節が難しいわけですから、決して適応的だとは言えませんよね。また、無心に生物を観察すれば、いったいなんの機能をもつのかさっぱりわからない形質をもったものもたくさんいます。

たとえば、ツノゼミという半翅目(はんしもく)の昆虫は胸部背面に種ごとにさまざまな奇妙な飾りがありますが、多くの昆虫学者や進化学者が、この飾りの機能的な意味をいまだに見いだせていません。たぶん意味などないのだと私は思いますよ。ツノゼミは、こんな変な飾りをもっているにもかかわらず、絶滅しないで立派に生き延びているというだけなのです。

座るために椅子をつくるとか、ものを書くために机をつくるとか、人間のちつくりだすものというのはたいがい目的があるので、多くの人はそれが当たり前だと思いがちです。でも、生物というのは、目的のためにつくられるわけではありません。

だから実際には、ツノゼミの飾りとか人間のはだかのように、無駄だったり、ときには不適応だとしか思えない形質をもつことは決してあり得ないことではないし、そのままでも立派に生きることはできるのです」

●「機能第一主義」が生きづらさの元凶

「生物は環境に適応するように進化する」というダーウィンの言明は、「機能第一主義」の権化だと話す池田先生。そして、そんな「機能第一主義」的な価値観が現代の多くの人の頭の中に刷り込まれているのは疑いようのない事実であり、それこそが、生きづらさの元凶だと分析します。

「『たいして役に立たない自分にここにいる意味があるのか』などと思い悩む人があとを絶たないのはまさにそのせいでしょう。なかには『生きる意味』を延々と模索する人もいるようですが、私に言わせれば死んでないから生きているだけで、そもそも生きることに意味などありません。別に意味なんてなくていいのだというふうに割り切れば、うんと気楽に生きられるのです。

また、『適応する』ことが常に正しいのだと思い込むと、自分を環境に合わせたり、環境が変わるたびにそれまでの自分のやり方を変えなくてはなりません。自分のもっとも得意なやり方を遂行できる環境に自ら移動していく『能動的適応』のほうが、本来の生き方なのだと私は思います。みなさんもその価値観をリセットしてみてはいかがですか?」

驚きの「リアル進化論」』(扶桑社刊)では、ネオダーウィニズムの矛盾にさらに斬り込み、池田先生が打ち出したそれとは全く異なる進化のメカニズム(「構造主義進化論」)も紹介します。また、進化論の歴史や、ダーウィンにまつわる意外なエピソードなども盛り込まれ、あなたの知的好奇心を刺激する一冊です。

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