話しにくいことをあえて語ることも大切

「戦争」に限らず私たち日本人はどうにも、タブー視されがちな事柄について語ることが不得意な気がします。自分の意見がほかの人と違うことを、よしとしないお国柄のせいなのでしょうか。「なんとなく、そこは察してください…」という空気に敏感な気がします。

 

●猫を取り巻く環境でも浮かび上がる「矛盾」問題

最近、猫を取り巻く環境を少しでもよくしたいという思いから活動をしていますが、そのような現場でもさまざまな矛盾にぶつかります。「猫が大好きだから」という感情論が先に立ってしまうことで、本来の目的を見失ってしまうことも多々あるように思うのです。

女性と猫
以前ミルクボランティアで預かった保護猫たち
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猫が好きな人同士が、好きだからこそ、意見の食い違いや互いの考えを受け入れることができず、いがみ合ってしまう…。そこには常に「かわいそうだから…」という感情から自らのなにかを犠牲にすることで、猫への愛情を測るような不思議なセオリーがある気がします。

実際に地域猫の問題に取り組んでいるボランティアさんから聞いたのですが、猫の保護活動に協力的なのは、じつは猫嫌いの人だというケースが少なくないそうです。確かに猫嫌いの人にとっても、野良猫がいなくなることは大歓迎なのですから、言われてみれば納得できます。

 

●野良猫問題に対する動物福祉先進国スウェーデンの考え方

スウェーデンの首都ストックホルムの街並み
野良猫がいないスウェーデンの首都ストックホルムの風景

北欧スウェーデンの猫シェルターを訪問し、スウェーデンの野良猫の現状などを伺ったときのこと。「殺処分はありますか?」という私の質問に、「日本で言う行政が行う殺処分というものはありませんが、安楽死を言うのであれば、私たちはそれを受け入れています」という返答でした。

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この「安楽死」という問題についても、語り合うことが、私たちはとても下手なようです。「かわいそうだから…」という感情論から、見失ってしまう本当に大切なこと。「尊厳」そして「死生観」。「正しい、正しくない」で責め合うのではなく、客観的に冷静さを持って、ときに合理的に物事を考えることが、試されている時代、世代ではないかなぁと最近思っています。

ちなみにもしも私が猫だったら。病気や老いで食べることもままならなくなったのであれば、延命などせず、痛みに耐えられないようなら安楽死をさせて欲しいと思うのですが、皆さんならどう思うでしょうか。

話しにくいことを、あえて語ることで、見えてくる未来。一見不利と思えることも本音で語ることのできる世の中。タブーを恐れず、立ち向かってくれるリーダーに未来を託したいなと思う今日この頃です。

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