長い時間をともにした志村けんさん、上島竜兵さんへの思い

60歳を前にして、戦争や災害。世の中に起きる理不尽な出来事を前に、無力ではありたくないのにと思う歯痒さの中にいます。改めて「命」を考える今。

先日、上島竜兵さんの訃報が届きました。私にとっては志村さんとの日々をともに過ごした特別の存在であり、多くを語ることはせずとも、志村さんを軸に揺れ動いた時代を分かちあえる貴重な存在でした。

上島竜兵さん、志村けんさん、川上麻衣子さん
1994年頃、スウェーデンロケでの志村けんさん、上島竜兵さんと(川上さん提供写真)
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今から25年以上も前、体力も気力も持て余していたような年齢の頃に長い時間をともに過ごした大好きな仲間です。「心」が通じ合える「すてき」な関係。正直なところ、志村さんが亡くなってから今日までの2年間。その「死」は少しも現実味を帯びることなく、涙することすらなく、ある意味潔い最期に、志村さんらしさを感じ「天晴れ」と、勝手に称賛したくなる気持ちもありました。

神田川俊郎さん、川上麻衣子さん、志村けんさん、上島竜兵さん
同じくスウェーデンロケで。日本料理人の神田川敏郎さん、志村けんさん、上島竜兵さんと(川上さん提供写真)

だれしもが迎える最期。志村さんのもつ独特の美学が、その最期に、あまりにうまく重なるように感じていました。そんな話を、思い出話とともにできる竜ちゃんが、いなくなってしまったことは、とても哀しくて、悔しくて。この同じ2年間。まったく違う哀しみの時間が竜ちゃんには流れていたのかもしれません。

命ある限り心を動かして笑っていきたい

「命」。

今この瞬間にも、世の中には哀しみや寂しさの渦の中で孤独と戦っている人がきっとたくさんいます。一方では戦争や災害により、無残に奪われてしまう「命」もあります。

袋に入れられ捨てられた子猫の中で間引かれていく「命」もあります。

「命」と「心」。

私は今こんなふうに思っています。死んでしまったのあとのことは、生まれる前のことのように、もしかしたら本当に「無」なのかもしれないと。

私たちが帰る場所は、きっと、生きているときに憧れる「無」の世界なのだと。

ポケットに入った子猫
川上さんのエプロンのポケットに入る子猫

でも「無」は人として寂しいものです。だから「命」ある限り。今を見つめて、そして猫に習い、老いてやせ細り肉体を使い切っていつの日か消える日まで、たくさんたくさん、「心」を動かして笑っていこうと思うのです。

「すてき」と感じる「心」は、「命」ある私だけの宝物なのだから。

 

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