解答&解説はこちら
では、こちらで解答と解説をご紹介します。
【問題1 解答】
この参勤交代を最初に始めたのは誰でしょうか?
(1) 徳川家康
(2) 徳川家光
(3) 徳川吉宗
答えは「(2) 徳川家光」です。
【問題1 解説】
すべての画像を見る(全3枚)参勤交代という大変な制度を大名たちに課したのは、三代将軍の徳川家光です。彼は非常にワンマンな人で、自分の脅威になりそうなものは徹底的につぶそうとする人物だったようです。幕府にたてつく大名は、即お家取り潰しに。島原の乱ではキリシタンを徹底的に弾圧しました。そんな恐ろしい存在だったからこそ、各地の大名たちも、参勤交代という理不尽な制度にきちんと従っていたようです。
【問題2 解答】
江戸時代に始まったのが、全国の大名が、江戸と自分の領地に半年ずつ行き来する「参勤交代」。徳川幕府が全国の大名に参勤交代を始めた一番の理由は?
(1) 半年間一緒に過ごすことで、全国の大名との親交を深めたかった
(2) 日本全国の現状がどうなっているかを、定期的に知りたかった
(3) 全国の大名にお金を使わせ、貧乏にしたかった
答えは「(3) 全国の大名にお金を使わせ、貧乏にしたかった」です。
【問題2 解説】
参勤交代は、表向きは「江戸の警備」が狙いでしたが、幕府側には「参勤交代で大名たちの負担を増やし、幕府への反抗心を持たせないようにしよう」という隠れた意図がありました。大名行列は大人数が大荷物を持って長距離を行き来するので、当然膨大なお金がかかります。たとえば、加賀藩の前田家の記録によれば、片道の大名行列にかかった費用は約5億円! いくら大名とはいえ、負担は重いものでした。そのため、各大名たちは、普段は涙ぐましい節約をして、江戸と領地を行き来していたようです。
【問題3 解答】
参勤交代を通じて、地方の庶民の間で大人気になったのは?
(1) 新聞
(2) 俳句
(3) モテファッション
答えは「(3) モテファッション」です。
【問題3 解説】
大名たちにとっては負担が大きい参勤交代ですが、江戸や大阪、京都の文化が地方に広まる良い機会にもなりました。参勤交代を通じて、大名やそのお供たち、さらに大名行列にくっついて地方の商人や職人たちが、地元と江戸を行き来するようになります。その中で、地方の人々が江戸の文化や京都・大阪の上方文化を体験するようになり、彼らが「これはいい」と思ったトレンドを続々と故郷に持ち帰るようになります。
その結果、江戸や京都、大阪といった都市部のライフスタイルが、日本中に広まりました。なかでも流行したのが、ファッションです。都市で流行した着物の着方や髷(まげ)の結い方などは、「おしゃれをしてちょっとでもモテたい!」と思う人々の間でまねされ、全国に広まっていきました。いつの時代も「モテ」が最強のモチベーションだということが証明されたのです。
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