●高齢の両親の「もの」をどうするか問題
そして、自分の部屋を出てリビングに入ると、こちらは両親のものたちで溢れかえっています。お正月に集まる度に実家の整理を今年こそはしよう、と毎年心に決めるのですが、相も変わらずの状態が続いています。どうしたものかと、食器棚を開けてみると、そこは今となっては宝の山。
すべての画像を見る(全6枚)もちろん中流のちょっと上の暮らしですから、金や大理石、宝石などは出てきません。出てきたのは、両親が若い頃に集めた北欧の食器たちでした。家族とともに暮らしていた1970年代に使っていた食器は、今では立派なヴィンテージものです。
さすがにインテリアデザイナーの両親の目利きは天晴れなもので、和食器と北欧の食器がバランスよくそろえられていました。
●ものに向き合って気づいたこと
改めて「捨てる」を考えてみると、これはどうやらものの年代によっても判断の仕方がまったく違うぞ、ということに気づかされました。
冷静な気持で現在の暮らしに目をやると、ほとんどのものたちはシンプルで使いやすくなった分愛着もそれほどなく、無駄と思えるものは本当にその質感やフォルムからして、無駄なものだなぁと思います。
ところが1970年代のものたちは、どこか無駄な中にも手の込んだ工夫があったり、年を重ねてひさしぶりに目にすると、もの自体にお金がかかっていたんだなぁと感心したりします。
また、ものもちよかった祖母のおかげで、今年84歳になる母の学生時代のノートまで出て来たりします。最初の3ページほどしか使わずに、次から次へと新しいノートへと心変わりする母の性格が垣間見れて、微笑ましくもなりますが、その母が、趣味で集めていたらしい、当時のマッチ箱のスクラップはずっと見ていても飽きることがありません。
結局捨てるつもりが、思い出の品々から懐かしさに浸り、「ものたち」がもつ魅力を改めて発見するきっかけとなりました。
●ものを「捨てる」よりも大切にしたいこと
ものを捨てるルールについて、基本的には「愛を感じないものは捨てること。そして思い出深いものも写真に撮って残し、捨てること」となにかで読み、なるほどと思っていたのですが、やはり写真では残せない、手触り、においが脳みそを刺激します。
「捨てる」ことは簡単だけれど、一度捨ててしまったら消えてしまうものたちを前に、「どのくらいの分量まで、私はもつことを許そうか」と、まずは60歳までのわずかな時間に決断し、「捨てる」よりも前にまずはなにを「残すか」の作業を始めようと思います。果たして還暦までに間に合うのか。自分のルーツを探る旅と思い、挑んでみます。