作家・作詞家として活躍する高橋久美子さんによる暮らしのエッセー。 今回は、久しぶりに旅に出たお話についてつづってくれました。

第58回「旅はいいね」

暮らしっく
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●コロナが落ち着いている束の間の旅

しばらく旅をしていた。11月頭、富山県立山町で行われる野外ライブ「立山農芸祭」に出演することになっていたので、これは絶好の旅日和じゃないかと、10日ほど旅人になった。

注意をはらいながらも、罪悪感なしに新幹線に乗れる喜びよ。紅葉シーズンとあって、年配のツアー客も大勢乗車していた。解き放たれた鳥とまではいかないが、みんなこの日を待ってましたとばかりにウキウキしている様子。マスクはつけているし、互いにしゃべることはしないが、「よい旅を」と願わずにいられない。
この2年、気を引き締めないといけない状況が、少しずつ人から感情を奪っていった気がする。人と会えない、喋らない、笑えない。人間としての花を摘み取られるような痛みがじんわりと街中に浸透してしまっていたのを感じた。
それを取り戻したくて私達は旅をするのかもしれない。東京駅は以前に比べると、人数も増えて、活気を取り戻しつつあった。
 

●大自然の美しさに感動

午後一で、富山駅に到着。懐かしい顔が、次々に改札に集まる。「元気だった?」「うんうん。元気だった?」久々の再会に胸が熱くなって、涙が出そうだ。新幹線や飛行機のない時代は、旅立ちや帰省がこんなふうに、ドラマの最終回みたいだったんだろうと想像する。だからこそ、頻繁に会うよりも濃度の高い時間を過ごせたのかもしれない。
「でも全然久々って感じしないね。2年前のあの日が昨日みたいだよね」
確かにタイムスリップ感はあるなあ。会わなくても会っている感覚は、メールやSNSが発達したからというだけではないだろう。それぞれの場所でそれぞれに時間を過ごし、多少は変わっただろうけど根幹は変わっていないからだ。時間より大切なものを共有しているからだとも思う。それが、“信頼”なのかもしれない。

紅葉した山
紅葉した山々

昨年開催予定だったライブが、何度かの延期を経て、ようやく開催できることを仲間たちと改札でひとしきり喜びあい、友人の車に乗り込む。富山市から立山へ向かって車で走っていくと、雪をかぶった北アルプスが現れた。美しすぎて絵か写真なのではないかと思ってしまう。関東でも、西日本でもここまで大きな山に出くわすことがない。立山信仰と言われるのもわかるくらいに、立山町は生命力に満ちていた。

称名滝
称名滝

 

翌日、山へ紅葉を見に行こうということになり、立山の友人宅を出発した。曲がりくねった山道をぐんぐん走り、折り紙を散りばめたみたいにカラフルに染まる立山連峰の中に飲み込まれていく。車を降り、「称名滝」という滝を見に行く。紅葉は美しさを超えて目の奥がギューンと痛くなるレベルだった。
切り立った山々に直立する木々、直滑降の岩肌に、ウォータースライダーのように滝が落ちる。大自然に囲まれていると、自分も一本の木になっていた。東京の家にいた2年近く、自分という存在がとても近くなっていたけれど、猛々しい山々に囲まれ滝を見ていると、投げ飛ばされた気分。私は山の一員だった。虫や木や動物と同じ、ただの一つの生物だった。小さなことがどうでもよくなる。また東京に帰ったら、くだらない悩みは出てきてしまうのだろうけど、時々山に放り投げて、こびりついていく自分を剥がしたらいいんだなと思った。

●旅で得たたくさんの充実感に満たされて…

野外ライブの様子

立山連峰の目の前で行われたライブは、本当に素晴らしかった。会場が牧場だったので、歌っている目の前をポニーが歩いている。ありゃ、飾りのぶどうをむしゃむしゃ食べてしまった。子どもも大人も笑っている。こんな絶景でライブしたのは初めてだった。人数制限をかけつつも、お客さんがいてくれることがありがたかった。放った言葉や音楽を受け止めてくれる誰かが目の前にいること。そういうなんでもないことの一つ一つがとても大切に思えた。歌や朗読は山にこだまして、私の心にも染み込んでいった。

数日後、富山から長野へ移動し、今度は久々に長野の友達数名と会う。お昼を食べたカレー屋さんで、あまりに再会を嬉しそうにしていたからか、店員さんがコーヒーをおまけしてくれた。私達は、三倍くらい嬉しくなって、こういうのを自分達もできたらいいねと話した。善光寺を参ったり古本屋や古着屋を巡り、そこから上田市へ移動し11月20日〜開催になるヒトノユメ展の準備をしながら、友人家族と温泉へ行ったりのんびりと過ごした。
温泉の効能みたいに、旅から戻っても気持ち良い疲れと充足感で満たされている。