●「もう無理だ」…老々介護で父が限界に

「ただ予想はしていましたが、骨折のせいで、母の認知症が一段と進んでしまったんです。もともと年を取って出不精になっていたところに、足が不自由になってもっと出歩かなくなりました。そうなると、やはり厳しいですよね」(孝昭さん)

認知症になる前は、正一さんと勝子さんは毎日二人で、1時間から1時間半の散歩をしていました。当然そんなこともできなくなり、勝子さんは排泄を失敗したり、夜中に起きだして大声で一人でしゃべったりするようになりました。

この頃の孝昭さんは、東京から愛媛の実家に月に1回は帰っていました。会社経営者である孝昭さんのほうが、美奈代さんよりも時間の融通がつけやすかったためです。孝昭さんは愛媛の実家を「愛媛支社」として、地元でも取引先を開拓、愛媛でも仕事をできる体制を整え、両親と叔母の暮らしを助けしました。

ただその生活も長くは続きませんでした。父・正一さんが「もう無理だ」と、音を上げたのです。勝子さんの認知症がはじまってから約半年。孝昭さんと美奈代さんは、母の勝子さんを介護施設に入れる決心をしました。それが一昨年、2019年1月のことでした。

●認知症はドミノ倒しのように。今度は父親が…

ご飯を口に運ぶ様子
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特別養護老人ホーム、いわゆる“特養”は美奈代さんのツテで見つけることができました。美奈代さんが結婚前に勤めていた会社の社長が、特養も経営していたからです。孝昭さんもその社長と面識があったり、美奈代さんの友人が施設で働いていたりと、地元ならではのつながりにも助けられたといいます。

勝子さんが特養に入り、実家では父親と叔母の二人の生活が始まりました。ところが今度は、正一さんが倒れてしまいました。脳梗塞でした。

「脳梗塞自体は軽症だったので、2週間くらいの入院で退院することができました。ただそのあと、父も認知症がはじまったんです。まさにドミノ倒しでした」(孝昭さん)

認知症がはじまった正一さん。自分の妹である相子さんをひどく罵倒することもありました。認知症の症状のひとつとはいえ、高齢の相子さんには耐えがたく、美奈代さんと孝昭さんに頻繁に電話がかかってくるように…。

さらに体力はあった正一さんは自転車で遠くまで出かけては、迷って帰れないことが時々起こるようになりました。

「叔母から父が見つからないと電話がかかってきて、兄に愛媛に飛んでいってもらったこともありました。最後は、父が自転車で転んで入院したんです。やはりそれで一気に認知症が悪化してしまって。もうさすがに叔母と二人で生活するのは無理だと、父も母と同じ施設に入所してもらうことにしました」(美奈代さん)

正一さんが入所したのは2020年の暮れ。母の勝子さんが入所してから約2年後のことでした。