知人に料理を教えたことをきっかけに生徒数が増え、料理教室を続けながら多くのレシピを提案している、料理研究家の村上祥子さん(84歳)。今回は、村上さんの「料理への思い」をご紹介します。

※ この記事は『84歳。食べて、歩いて、カッコよく生きる。』(プレジデント社刊)より一部抜粋、再構成の上作成しております。

屋外にて座り込む少女2人
津屋崎(福岡県)にある疎開先の祖父の別荘裏庭にて。(写真左)5歳の妹・節子さん(写真右)祥子さん7歳
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ずっと“料理のこと”を考えています

「生まれてこの方」は大げさですが、7歳の頃には食べ物をつくっていましたから、365日、料理のことを考えているのは本当です。

第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)、私たち家族は疎開先の祖父の別荘に住んでいました。井戸のつるべで水を汲(く)み上げてバケツに入れ、スカートの裾を濡れないようにキュッと片側に寄せ、台所の土間にある甕(かめ)まで運びます。手伝いの人はおりません。水を汲む作業をやって、初めて料理がスタートします。

当時7~8歳の私がつくれるのは、小麦粉、砂糖、卵、ふくらし粉(重曹)を混ぜて揚げたドーナツもどきくらい。庭に植わっていた夏ミカンの実の薄皮をむき、重曹をかけて酸っぱさを解消(中和)しておやつに。それくらいのことと思います。妹と遊んでいる友達にもふるまっていた記憶があります。

24歳のとき出会ったアメリカ人のアンさんに日本の家庭料理を教えたことから、私の仕事人生は始まりました。27歳で教室を開いて以来、プロとしてお金をいただくために心してきたことを、次にしたためます。