暮らしというのは十人十色です。作家・作詞家として活動する高橋久美子さんにもまた、忙しい日々を送りつつも、私たちと同じように暮らしと向き合っています。
今回、高橋さんがつづってくれたのは、実家・愛媛で過ごした日々と、東京での今の暮らしのことです。

第1回「ぐるっと一周、食の旅」

暮らしっく
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●無農薬野菜やイノシシの肉…18歳まで過ごした愛媛での暮らし

暑いー、食欲ないなあ。そんな日は、外から帰ったらまず冷やしておいたスイカを切ってざくざく食べる。カブトムシみたいに、赤いところが全部なくなって白くなってもまだかじる。夏は世界一スイカが好き。体の熱がスーッととれて体温が下がっていくのを感じる。体は食べ物でできていることを実感する瞬間だ。今年の春ベトナムの南端で熱さにダウンしそうになったときも、現地の友人ロン君にココナッツを切落してもらって、2リットル以上入っていた水分をゴクゴク飲み干した。スイカと同じ、火照った体から熱がスーッと引いていき私は元気を取り戻した。

「その土地の旬の物を食べていたら体はしゃんとするから、冬には冬の野菜を食べるんよ」

と、大学で一人暮らしする前に母に教えられた。言われてみると愛媛の家で生きてきた18年、私は家の畑でできた野菜しか食べたことがなかった。今でこそ久美子さんちは丁寧な生活だと言われるが、私たちは丁寧に暮らそうと意識してきたわけではない。祖父母と同居し昔ながらの生活をしてきただけだった。そりゃ私だってお腹いっぱいにスナック菓子やハンバーガーを食べてみたかった時期もある。

7人家族の兼業農家、サラリーマンの父の月給だけで3人の子どもを育てるには生活の工夫が必要だった。母は祖父母がしてきたように自給自足で家計をやりくりした。と同時に自然を中心にした生活が貧しさではなく、豊かさであるという考えが若き母の中に備わっていたのはすごいなと思う。

台所に並べた夏野菜の様子
夏野菜が豊作の台所。現在の私の暮らし

梅干しやみそ、らっきょう漬け、梅酒、切り干し大根、たくあん、お餅、パン、毎日のおやつ、誕生日ケーキ、洋服、浴衣、何から何まで母の手づくりで育った。髪も石けんで洗って、リンスなんてはお湯にレモン汁を絞ったものだった。東京で暮らすようになって、幼少期の日常がとんでもなくぜいたくだったのだと気づいた。

もぎたての無農薬野菜と果実、産みたての卵、清らかな山水で祖父と父が育てた米。「ただいまー」学校から帰って玄関をあけた途端、獣くさっ!と思ったらシシ肉の日だ。祖父たちがイノシシを取ってきて解体して、ワンブロックずつ肉をもらってくる。まるで縄文時代みたいやと思っていた。小さな集落の食卓がみーんなその日はシシ肉デーだ。大人になってジビエなるものを初めて食べて、嘘だろと思った。シシ肉がまったく臭くなかったからだ。処理の仕方でここまで違うのかと愕然とした。あの夕飯の獣の匂いは、全身全霊のイノシシの生きざまそのものだったように思う。さっきまで生きてたものを食べているんだと思うと、豚と同じお肉なのにいろんな想像をして怖くなって私は食べられなかった。

「何にも臭いことなんかない、シシ肉は栄養があるんじゃから食べなさい」と祖父に言われて、鼻をつまんでイノカツを一切れ口に運ぶ。つまんだ手を離すと、やっぱり獣臭が広がって「もういらん」と言った。イノシシの肉を食べているなんて恥ずかしくて小学校では言えなかった。Jリーグチップスが流行って、カードだけ取って中身はいらんからと男子がダンボール一箱分のポテトチップをくれたときは夢のようだった。1日1袋までよと言う母の目を気にしながら、三姉妹でたらふくポテトチップを食べた記憶もまた真実である。

●若い頃の禁断の食生活を経て、今目指したいのは実家の18年間

大学に入学した春、生まれて初めてマクドナルドに行きハッピーセットを食べた。一人暮らし、注意する母も祖父もいない。禁断の扉が開いてしまい1年で5キロ太った(詳しくは「捨てられない物」を読んでね)。丁寧な食生活をしてきても実感が伴わなければ永遠に自分のものにはならないということだ。

みそが入った杉樽
5月に仕込んだみそが杉樽に熟成してきました!

暮らしの本当の豊かさを考えるようになったのは30歳を過ぎてからである。レコーディングで地下にこもり全国ツアーを回っていた20代は、食は二の次。音楽に没頭し、毎日ロケ弁やコンビニのおにぎりや出前だった。その頃、私はしょっちゅう風邪を引いたり胃腸を悪くしていた。母から野菜は届いていたけれど、料理する時間があるなら少しでも寝たり歌詞を書いたりする時間にあてたかった。そういうちょっと退廃的な感じがロックの源のように思っていたし、何かに没頭するとき人間はそれ以外が見えなくなるもんだ。今だって執筆に集中するといつの間にか朝になっていて、やっちまったなと思うけれど、角が顔を見せる瞬間も自分らしさ、熱中できる時間は宝物だとも思う。

とは言え体は資本。30歳になった頃、愛媛でのクラシックな18年間を目指したいと思った。でも今すぐ地方に移住しようということではない。半分愛媛で母から学び、半分東京での生活を送る。都心でだってできる自給自足があるはずだもの。

四畳半の小さな庭の様子
東京の小さな畑。夏はいっせいにジャングルになる

現在、都心のレトロな賃貸の一軒家に夫と二人で暮らしている。四畳半の小さな庭には最初、砂利がひかれていたが全部取って、堆肥や糠を入れながら土の生命力を上げていくことから始まった。ミョウガ、オクラ、ナス、キュウリ、トマト、菊芋、アスパラ、大葉、バジル、ぶどう……いろんな野菜や果物が賑やかな夏がきた! おみそも自分たちでつくってみよう、パンも、ぬか漬けも、アンチョビも。クラシックな暮らしに惹かれるのは、そこが私の原風景であり、また二人にとっては瑞々しい冒険だからだ。ぐるっと一周してやっと私には「暮らし」というものの実感がある。

これから、そんな私の暮らしについてつづっていこうと思います。よろしくね。

【高橋久美子さん】

1982年、愛媛県生まれ。チャットモンチーのドラムを経て作家・作詞家として活動する。主な著書にエッセイ集「いっぴき」(ちくま文庫)、絵本「赤い金魚と赤いとうがらし」(ミルブックス)など。翻訳絵本「おかあさんはね」(マイクロマガジン社)でようちえん絵本大賞受賞。原田知世、大原櫻子、ももいろクローバーZなどさまざまなアーティストへの歌詞提供も多数。NHKラジオ第一放送「うたことば」のMCも。公式HP:んふふのふ

高橋さんのエッセイ集

『捨てられない物』は、ギャラリー芝生の通販にて8月末まで発売中、9月からは高橋さんのHPにて発売。