ふと不安になったときに、頭のなかに黒いものが「もやもや」と渦巻いているように感じる人もいれば、胸の奥あたりが「うつうつ」と重く感じる人も多いかと思います。今まで50万人の悩みと向き合ってきた、92歳の聖心会シスター・鈴木秀子さんは、「年を取るにつれて、外に注意を払うことが少なくなりました」と話し、払っている場所は、「自分の内面」なのだそうです。ここでは、鈴木さんの新刊本『あなたは、そのままでいればいい』(扶桑社刊)より、人生100年時代を軽やかに生き抜くヒントをご紹介します。

92歳の聖心会シスター・鈴木秀子さん
92歳の聖心会シスター・鈴木秀子さん

まずは、自分の気持ちに気づくことが大切

「もやもや」は、物事の本質がもやもやっとした霞(かすみ)にかかって、見えない状態で、お風呂場の曇った鏡と同じです。よく見えないまま前に進むのは、だれだってこわいですし、不安なものです。不安だから「もやもやうつうつ」するのです。

ーー自分の顔を見たいのに、鏡が曇って見えない…。

こんなとき、あなたならどうしますか? どんなに一生懸命に目を凝らしても、自分の顔は見えません。そしたらきっと、あなたはこんなふうに3つのことをするでしょう。

1:「鏡が曇っているわ」(気づき)
2:「顔が見えなくて、イライラするわ」(客観的な自己観察)
3:「曇った鏡を手やタオルでふこう」(行動)

もやもやうつうつしたら、やることはこの3つしかありません。

なにより、まずは“気づくこと”が大切。イライラしている自分を、静かに、客観的に観察します。そして、このとき重要なのは、「もうひとりの自分」の存在です。

舞台の上でイライラしている自分を、もうひとりの自分を客席に座らせて観察してみてください。もうひとりの自分を見るときの視点は、評論家ではありません。「つまらないことでイライラしているなんて、ダメな人ね」などと、厳しく批判する必要はありません。

また、裁判官になってもいけません。善悪を判断したり、間違いを正そうとする必要はまったくありません。

このもうひとりの自分の視点こそが、神様の視点そのものです。神様はいつでもこんなふうに、どんなときでも私たちを温かく見守っていてくださいます。客席から自分を見るときは、そうですね、遠くにある山を見るように観察してみてはどうでしょう。

あそこに山があるなあ。雲が出てきたなあ。太陽が雲で隠れたなあ。こんなふうに目の前の景色を、自分自身のことを、自分の心の模様を、ただ観察するのです。

「雲が出てきて、雨が降ったらどうしよう」「傘がないから困ったわ」「雨に濡れて風邪を引いたら嫌だなあ」などと、あれこれ考えません。考えはじめていたら、「あ、私、ネガティブになっている」と気づいて、ストップします。