年老いた両親との暮らしで思うことは多いはず。作家・作詞家として活躍する高橋久美子さんは二拠点生活先の愛媛では高齢の両親と暮らしています。そこで感じた、男女の役割について感じたことをつづります。
すべての画像を見る(全4枚)二拠点生活先での親との同居に思うこと
4月は愛媛月間だったので、毎日野良仕事に明け暮れていた。1か月交代で、東京―愛媛を行き来する生活も2年が過ぎ、地元の人にも少しずつ認知されるようになった。といっても、過疎地すぎて、猿の方がよほど多いんだけどね。
それでも、畑の行き来に人と立ち話する時間も長くなった。「そろそろキュウリの種を撒いた方がいいんでない?」とか、「こりゃあ肥料不足じゃ」とアドバイスをくれる人もいて、すごく勉強になっている。
この連載をまとめた書籍『暮らしっく』でも二拠点生活についてはいろいろと書いてきた。40歳を過ぎてから愛媛で親と同居する大変さについては、とくに反響も大きかった。大人になったからこそ分かりあえること、逆にぶつかってしまうこと…ありますよねえ。
親しき仲にも礼儀ありで、出そうになっている言葉を飲み込むこともしばしば。両親のことを、ある部分ではとても尊敬しているけれど、ある部分では、理解できないことも。でも、これで70年きたんだから今更仕方ないなと諦める。論破しない。体力が落ちてできないことも増えてきた。いずれ自分も行く道だということを肝に銘じて接したい。
定年後の父と母の関係性
父は、ヨガにパソコン教室にゲートボールなどなど、趣味でほぼスケジュールが埋まっている。家にいるときはテレビを見て大声で笑っている。食卓に座れば必然的に父のテレビの音を聞いていなきゃいけないストレスよ。映像は見なくても、音というのは、絶対に入ってくるから、けっこうキツイものがある。私と母は黙って食べる。
定年後に祖父から引き継いだ田んぼはしぶしぶ父がやってくれているけど、ゴミ出し以外家事をせず老後を謳歌している。母へのねぎらいは皆無。父親世代の男性のあの感じって(いや、いろんな方がいますから固定的に書いてはいけませんね)なんなんだろうか。
母は毎日家事をし、畑で野菜を作って、孫のお世話をし、数年前までは義両親の介護もしてきた。本当に働き者。母が座っているときなんて、朝ドラを見る15分だけじゃないだろうか。母が家の要だ。ああ、母のこの献身的な性格が父をこんなふうにしてしまったのかもなあ。