自分が幸せを感じるかどうかに目を向けてみる
子どもがいれば、ある時期までは子どもを幸せにすることが自分の幸せだったりしますよね。でも、子どもの手が離れた今は、自分が幸せになることが周りも幸せにすると思っています。
幸せを感じる瞬間は人それぞれですが、私にとっては好きなことをすることです。とはいえ「好きなこと」が分からないという人も少なくありません。そんな人におすすめしたいのが、「ふと」気になったものを見逃さないことです。雑誌のページをペラペラめくっていたら、ふと旅に行きたくなる、とか「○○さんどうしているんだろうなぁ」とふと古い友人のことを頭をかすめたり。そんな「ふと」思うことは日常生活にもよくあると思います。
私は、それを見過ごさず、行動にするようにしています。「ふと」脳裏をかすめるこというのは、自分の直感だったり、心の声だったりするのです。好きなものは、その感覚から生まれるものだと思うので、年齢に関係なく、自分の感覚に目を向けてみるのは大事なことではないでしょうか。これからも「好き」なことを見過ごさず、幸多い人生にしたいと思います。
人と比べて生きるのをやめる
若い頃は、人とばかり比べていました。というのも、若いとみんな似たような価値観、選択肢のなかで生きてきたからです。みんなと同じ土俵に立っているからこそ、比べやすかったかもしれません。
自分より有能な人を見ては劣等感を抱き、自分より劣っている人を見ては、まだ自分は大丈夫と安心する。だれかが決めた基準、だれかがいいというものを物差しにして、自分の存在価値を計っていたものです。けれど、時代は大きく変わり、「個性」が尊重されるようになっています。
そして、年齢を重ねて、人生の後半に差しかかってくると、人と比べることにいい加減に疲れてきたりもします。比べるのは、他人ではなく過去の自分自身だったのです。大事なことは、自分の成長を自分が感じ取ることだと気づきました。そして、何歳になっても向上心を失わず、「~したい」「~でありたい」という理想の姿に向かって、毎日を積み重ねていくことに価値を見出すようになりました。
他人から見える外側ではなく、自分の内側の変化に目を向けることだと思います。「今日はこんなことができた」「これに挑戦した」というような小さな成功体験を自分でつくっていくことで年齢に影響されることなく人生を充実させられるのではないでしょうか。
60代からは自由気ままなスタイルで生きたい
余談ですが、今月、父の13回忌の法要を親族で執り行いました。親がしていた「法事」というものは、ご近所まで巻き込むような家の一大イベントでした。それに比べたら、なんと簡素なものでした。わが家では、墓じまいをしてお墓もなく、お仏壇も処分してしまっています。
私たちの法要は、お寺に伺って、お経だけを盛大にしていただくというスタイル。そのあとみんなで食事会へ出かるだけです。ほんとうにラクなものです。お墓も、仏壇もないけれど、手を合わせる気持ちがあれば、それでいいのではないでしょうか? 代々受け継がれる慣習も大事ですが、自分も周りも負担になるようなことは手放して、自分のルールをつくっていこうと思います。
50代を超えて、ますます「私らしく」を尊重できるようになりました。60代からは、自由で気ままが似合う年代です。