●人には越えられない不幸は降りかからない
――ESSEonlineの読者たちは、自分だけでなく、家族の挫折や不調と向き合うことも多いです。どんなふうに対処するのがいいでしょう?
すべての画像を見る(全5枚)中園:家族の挫折や人に降りかかる不幸というのは、全部が意味のあることだと思うんです。子どもの失敗だったら、それはその子が成長するために必ず必要なことなんだと思うんですね。それに、人には乗り越えられない不幸は降りかかりません。
だから、「これには必ず意味があるはず」、まずはそうお母さんに思ってほしい。一緒になって落ち込んでいたら、きっと子どもはもっとつらいだろうし、逆に励ましの言葉も最初は受け入れるのは無理です。
とくに、心のやわらかいときの失敗はつらいと思うけれど、やわらかいからこそ早く立ち直れるだろうし、やっぱり失敗を乗り越えることって、心がやわらかくしなやかなときにたくさんしておいた方がいいと思うんですよね。
とはいえ、子どもはお先真っ暗な気持ちになってしまっているでしょうから、お母さんがまず落ち着いて、ゆったりと見守ってあげてほしいなと思います。
――不登校など、親としてはとても心配になってしまいますが、見守ることなのでしょうか?
中園:私もじつは不登校だったんです。朝起きるたびに、「なんで学校行くんだろう?」なんて思っていました。けれど、それってすごく自然なことでもあるので、親がまずうろたえないことです。
今は、ちゃんとカウンセラーもいるし、フリースクールとかもあるから頼りにすればいいし、とにかく親が動揺するのがいちばん子どもにとってはつらいと思います。毎日、「今日もあの子、行かないのね」とか、そういう風にビクビク機嫌を取り合って、神経すり減らしていたら、もうその家の空気自体が淀んでしまいます。そういうときこそ、その子が機嫌よく過ごせるようにして、できれば、今日は公園行こうかとか、自然の中に行くといいと思います。
●人のために生きることが自分の「力」にもなる
――つらい時代も、長い人生にとってみれば大切な時間ですね。
中園:自分のためって意外とがんばれないけれど、人のためだとがんばれますよね。私も自分ひとりで完結していたときは、本当にがんばれなかったし、“がんばれない人”でいいやと思っていました。
だけど、子どもを産んで、「この子を幸せにするためには自分が幸せにならないと絶対に無理だな」と思うところから、やっと馬力がかかった。まず「自分が機嫌よく楽しく生きないと、この子を楽しくできない」。そう思ったら、連ドラ書くの怖いとか、自分の能力を試したくないとか、失敗するのが恥ずかしいとか…そんなことを言ってられなくなりました。失敗しても、とにかくやらなきゃ、という積み重ねでここまできましたね。
――人のために生きることが、自分の力になるということでしょうか?
中園:私はそうでしたね。なにか大切なものとか守らなきゃいけないものとか、愛する人でもいいと思うのだけど、そういうものができたときは、なぜかそこを突破できるんです。というより、そういう存在ができるまでは、私は本当に“私だけ”だったんです。でも、だれかのために生きるって、結局、自分に返ってきます。
たとえば、介護で、「なんで私、こんなに人の世話ばっかりしているんだろう」とか、もし思ってしまったとしたら、「これが私の厄を落としてくれているんだ。だったらお世話しましょう」とか、「これは全部自分の運気のため」と言い聞かせてやるといいと思います。そういう介護だったらまだがんばれるんじゃないかな。大丈夫です、何年かで終わりますから。どんなきついことも、本当に大変なのは2年くらいですから、踏ん張ってほしいです。
――年を取るのが怖いということもある気がするのですが、中園さんはいかがでしょうか。
中園:私は気持ち的には変わらなくて、むしろどんどん楽しくなっています。全然、元に戻りたいとは思いません。55歳に戻してあげますよとか言われても、それはいいかな。
老後が怖くないわけではないです。それは怖いけれど、でも、怖がって老人になっても、怖がらないで老人になっても、結果は同じなのじゃないかな。ボケるときはボケるでしょ。だったらちょっと能天気な方が、そこまでの過程や道のりが楽しい方がいいかな、って思います。