1982年にデビュー以来、バラエティ番組やドラマで幅広く活動する、タレントの松本明子さん。最近は、25年間空き家だった実家を処分したことでも話題です。そんな彼女に、今まで暮らしてきた家のこと、そして50代の今、これからどんな暮らしを実現したいかを、たっぷり伺いました。

松本明子
最近、実家じまいをした松本明子さん。50代からはどんな暮らしを考えている?
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上京前:借家住まいから山の上の人が集まる「小さなお城」へ

25年間空き家だった香川県高松市の実家を、テレビ出演を機に手放す決意をした松本明子さん。実家じまいの様子がテレビで取り上げられたり、本を出版するなどして話題になりました。

 

実家
トラックで大量の石を運んでつくった石垣。まさに石垣に囲まれたお城

その実家は、松本さんが6歳のときに父親がこだわり抜いて建てた「小さなお城」。市街地が一望でき、眼下には瀬戸内海も見える小高い山の上の土地で、景観は抜群だったそう。

 

松本明子さんのスナップ写真
お気に入りの庭で。当時は家族で写真を撮り合うのが松本家のブームだったそう

総檜づくりの平屋で、間取りは5DK。宮大工さんにお願いした、クギを1本も使わない「木組み」の家で、大きな庭石や石灯籠を配した日本庭園も造園。ただ、山の上だったため、通学には苦労することも。

「小学校まで2~3㎞離れているので、子どもの足だと片道小1時間かかって。大変でした」

それでも、かつての借家住まいから、広くてきれいな新居に引っ越したときは、とても感動したことをよく覚えているそうです。

 

応接間
ピアノやソファが置かれていた応接間

松本さんが8歳のとき、10歳上の兄が大学進学で実家を出たことを機に、初めて自分だけの部屋を手に入れた松本さん。

「そのときはうれしかったですね。ベッドの上にレールを取りつけて、ベッドと勉強机の間をカーテンで仕切ってもらったんです。濃いピンク色の織物で、窓のカーテンも同じ生地でしつらえました。両親と一緒にお店を巡るのも楽しくて」

中学生時代は、自室に置いてもらった小さな鏡台の前で、当時はやった松田聖子さんの髪型をまねてセットする時間が、どんなに忙しい朝でも楽しいひとときに。

 

玄関
玄関柱1本にもこだわり自然木を使用

仕事もお酒も大好きな豪快な父親に連れられて、繁華街の居酒屋やスナックを4、5軒ハシゴするのが週末の恒例行事だった松本さん家族。お酒が飲めない母親と松本さんはソフトドリンクでしたが、家族で飲み歩くのが楽しかったそう。

「父は飲み歩くだけではなく、人をわが家に連れてくるのも好きで。応接間に仕事終わりのホステスさんを呼んできて、ご飯を食べたり飲んだり。母がおにぎりや味噌汁をつくって、第二の宴会をよくやっていました。人が集まる家でしたね」

 

上京後:ひとり暮らしを始めた土地が今でも離れられない場所に

スターダスト
横浜の「スターダスト」は、上京後の松本さんの思い出スポット!

16歳のときに、「スター誕生!」チャンピオン大会に合格し、東京での暮らしがスタート。上京後すぐに住んだのは、国立市にあった所属事務所の寮でした。

3階建てで、1階には食堂やレッスン室、外には噴水のある庭があり、2、3階が所属タレントたちの個室。部屋には机、ベッド、クローゼットが備えつけられていました。

「大浴場、洗濯機、乾燥機ありの、至れり尽くせりの寮です。お給料が上がったら寮を出てひとり暮らし、というのがステータスなんですけど、私はデビューしても全然仕事がなかったので、最長だったんじゃないかな。20歳まで5年間住みました」

その後、寮を取り壊すことになり、初めてのひとり暮らしをすることに。

 

味わい深いバー
「スターダスト」のすぐ近くにアメリカの基地があり、米兵も集う50 年前からある味わい深いバー。「カウンターだけのお店で、古いジュークボックスが置かれていて、雰囲気があるんです」

そのとき選んだ場所が中野でした。その理由は、仲よくしていた同じ事務所の中山秀征さんが住んでいたから。

「家賃5万円くらいのアパートでした。その後も何度か引っ越しましたが、同じエリアに今も住んでいます。ホッとするというか、離れられないですね」

節約家としても知られている松本さん、当時も引っ越す際には業者に頼まず、スーパーで台車を借りてきたり、自転車を使うなどして、自力で運んだそう。

また、初めてのひとり暮らしのときは、家具も家電もすべてもらいもので、自分で購入したのはカラーボックスのみ。「食器棚や洗濯機、炊飯器などは先輩たちに『ください』と言ってもらっていました(笑)」。

その後、引っ越すたびに少しずつ部屋は広くなりましたが、家賃は給料の3分の1に抑えろ、という先輩からのアドバイスを守り続けたといいます。

27歳のときに、親孝行がしたい、と香川から両親を呼び寄せて、東京での3人暮らしが始まります。実家時代と同じく、遊びに行くのも食事に行くのも、お酒を飲みに行くのも3人一緒の生活が再開。

「そのときから、父がこだわって建てた実家が空き家になっちゃって。父としては、私の仕事は浮き沈みが激しいので、田舎に住む家だけは確保しておこうという気持ちがあったんだと思います」