ごはんにお湯を注ぐだけで食べられる、手軽でおいしい「お茶づけ」。平安時代に貴族の食べものとして湯漬け(冷飯にお湯をかけたもの)が生まれて以降、長きにわたって日本の食文化に根づいてきました。
ロングセラー商品「永谷園のお茶づけ」の裏側に迫る!
すべての画像を見る(全7枚)では、なぜ貴族の食べ物だったお茶づけが今ではお茶の間の味になったのでしょうか? そこで秘密を探るべく、今回は永谷園ホールディングス 広報部 広報室長 石井智子さんにお茶づけの始まりや、「永谷園のお茶づけ」シリーズの成功までの軌跡など、意外と知られていない裏話を伺いました。
●さまざまな苦労を乗り越えて、大ヒット商品に
永谷園のお茶づけが発売されたのは、終戦まもない1952年。今でこそ、お茶づけは家庭で簡単に食べることができますが、その当時は“料亭”の締めで食べられていたため、気軽に食べることは難しかったそうです。
そこに目をつけたのが永谷園の創業者・永谷嘉男氏です。お茶づけのおいしさに感動した嘉男氏は、「家でもこの味が食べられて、多くの人にお茶づけのおいしさを届けたい」と、家庭用のお茶づけの開発に至りました。
「お茶づけは、お茶、のり、あられなどでつくることができます。じつは、嘉男の先祖である永谷宗七郎が、現代に受け継がれる「煎茶製法」を編み出した“煎茶の創始者”なんです。だからお茶づけの材料が簡単にそろう。煎茶業を営む家系だったからこそ上質な材料を確保することができ、永谷園の『お茶づけ海苔』が誕生しました」(石井さん、以下同)
こうして、まっさらな土地から新しい一歩を踏み出す戦後の人々を支えるかのごとく生まれた「お茶づけ海苔」。発売当初は認知を広めるため、自転車の後ろにリアカーを引いて手売りする日々でしたが、江戸の情緒を想起させるパッケージ、手軽さ、そして毎日食べたくなるおいしさが評価され、瞬く間に人々の胃袋をつかみました。
大手百貨店での取り扱いもスタートし、このまま順調に売れ続けるかと思った矢先、とんでもない事件が起こります。
「突然注文がパタリと止んでしまったそうなんですよ。原因は、人気に目をつけた同業者による類似品の販売…。商標やブランドの重要性が認知されていない時代だったこともあり、永谷園は大きな打撃を受けたそうです。この一件により、『お茶づけ海苔』は、パッケージにも『永谷園』と印刷するようになりました」
こうした苦労を乗り越え、その後も「お茶づけ海苔」は順調に売上を伸ばし、全国的なヒット商品に成長。今でも多くの人が食べる、大ヒット商品になりました。