親しみやすく、なおかつ体に優しいレシピがSNSを中心に大好評の料理家・長谷川あかりさん。現在、ESSEonlineでも連載中ですが、6月には『つくりたくなる日々レシピ』(扶桑社)を上梓されました。

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長谷川あかりさん「あまりにも世間知らずだった自分に仰天した」

長谷川あかりさん
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今回は多忙なスケジュールのなかでも、精力的に活動する長谷川さんに取材。これまでの経歴や料理への思いなど、たっぷりお話を伺いました!

●小6でてれび戦士の仲間入り!

――料理家になる前はタレントとして活躍されていましたが、まずは芸能界入りのきっかけとなった、NHK Eテレの『天才てれびくん』(天てれ)に出演した経緯を教えていただけますか?

長谷川あかりさん(以下、長谷川):私はもともとダンスを習っていて、将来の夢はダンサーになることだったんです。小学校5年生の頃、とある芸能事務所が主催のオーディションが開催されることを知り、そのなかにちょうどダンサーの募集もあったので、夢をかなえるべく受けてみることにしました。

そしたら、まだオーディションをしている途中の段階で事務所の方から「天てれのレギュラーメンバー“てれび戦士”のオーディションにも挑戦してみないか」と言われまして。なんだか自分の可能性が2倍になったような気がしてうれしくて(笑)。やります! と、受けたところ合格。あっという間にタレント活動が始まってしまったんです。

――その当時を、今振り返ってみていかがでしょうか?

長谷川:本当にごく普通の小学生だったと思うんですけど、ただあまりにも世間知らずだった自分に仰天しまたね。お恥ずかしながら、それまでは「私はすごくかわいいんだ!」と、なんの疑いもなく信じていたんです。でも、同期になるてれび戦士たちと顔合わせをした際にみんなすごくキラキラしていて、「ビジュアルでは勝負できない!」という現実に気づかされました(笑)。

かわいい子って、すでに骨格からしてレベルが違うんですよね。そしてもっと小さな頃から子役としてスタートしている子とは、12~13歳にして、仕事のキャリアに大きな開きがあることも…。ただ、気合と根性だけはありましたし、いろんな子どもたちがいるのが天てれの魅力でもあるので、憧れていたヒロイン路線はあっさり捨ててバラエティ担当に(笑)。高学年になると、生放送のロケでMCをしたり…なんてことも増えていきました。

●今でも天てれの仲間とは仲よし!

長谷川さん

――“ごく普通の子ども”から芸能人になったわけですが、周りの反応はどうでしたか?

長谷川:それが思っていたほど変化がなかったんですよね。 素の性格を生かしたタレント活動だったので、周りもそこまでギャップを感じなかったようで、「アイツなんかテレビ出てるぞ」ぐらいの感じでしたかね。

――周囲の大人たちにも見守られながら、やりたいことの世界へ踏み出した思春期。ところで、最初の夢だった「ダンサー」とは、どう折り合いをつけたのでしょうか?

長谷川:天てれでの経験や、事務所でのいろいろなレッスンを通して、自然とやりたいことは変化していきましたね。周りの人と協力しながらなにかを表現することが好きだったので、自分が求められることを楽しんでやれていればそれがいちばんだなと思っていました。「なんでもやるぞ!」の精神というか。

天てれでは泊まりの仕事も多かったので、小中学生の頃の記憶はてれび戦士と一緒に過ごした思い出がいちばん多いかもしれません。その頃のメンバーとは、親戚のようでもあり、クラスメイトのようでもあり、だれよりも濃く、今思うとちょっと不思議な存在。

卒業し、大人になった今、私も含めてみんなの進路もさまざまですが、いまだに頻繁にご飯へ行ったり、SNSでやり取りをしている仲間もいますね!