「笑点」(日本テレビ系)のメンバーとして活躍する落語家の桂宮治さん。先日、“その年の最もすてきに輝くお父さん”に贈られる、第42回ベスト・ファーザー『イエローリボン賞』の学術・芸術部門を受賞したばかりです。そんな宮治さんは「今の自分があるのは、妻のおかげ」と語ります。出会いから私生活のことまで語ってもらいました。
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桂宮治さんが語る、妻への思い
桂宮治さんの著書『噺家 人嫌い』(扶桑社刊)の内容を一部抜粋にてお届けします。
●妻との出会い
僕の妻は、明日香といいます。
出会いは僕が二十五歳の頃。僕は俳優養成所を出たあとも役者を続けていて、明日香も役者をしていたのですが、たまたま僕が出演した小劇場の芝居に彼女も出ていました。第一印象は「かわいいなぁ」。年は僕の二個上で、立ち居振る舞いや言動も落ち着いていて好感をもてた。でも当時は二人とも恋人がいたので、お互いに「ただの共演者」でした。一か月稽古して一週間同じ舞台に立つと、それから数か月は会わない。そんな関係が続き、また別の公演で共演することに。
ある日、ほかの出演者たちと打ち上げ終わりで歩いているとゲーセンがあり、UFOキャッチャーで遊んでいるうちに明日香と二人きりに。で、そのままなんとなく流れで友達以上の関係になり、いつの間にかつき合っていました。告白をした記憶は…ないですね。「運命の人」と出会ったわりにはあっけないっ。
明日香は当時、銀座で働いていたので、仕事が終わってから夜中にデートを重ねました。その頃、母が戸越銀座でやっていた定食屋の経営が悪化して借金がかさみ、家賃の安いところに引っ越すことに。間取りが狭くなるから僕は一緒に住めない。でも僕は、収入はあってもそれ以上に遊んでいたので、すごい借金があって身動きがとれない。消費者金融を3、4社使ってお金を回し、利子しか返していないような状態でした。そもそもひとり暮らしなんてしたこともなかった。
「どうやったら、引っ越しってできるの?」
と明日香に相談しました。するとなんと、
「一緒に暮らさない? 私も実家を出ようと思っていたんだ」
と。これって僕が居候をお願いしたようなものですよね。
●この人じゃないとダメだ
ただ、僕の借金のことは知らない。明日香は僕と違って…というか普通なんでしょうけれど、貯金ができる人だったので、僕のフトコロ事情を聞いて呆れていました。当時の僕はワゴンDJのトップセールスマンでしたし、明日香に欲しいものがあれば買ってあげていたし、高級店で食事もしていたので、借金があるとは思っていなかったようです。なのに、
「まあいいや」
ありがたいことに、明日香はあっさりとそう言って僕と同棲を始めてくれました。僕が女性だったらこんな男、願い下げですけどね!
同棲するアパートは戸越銀座で探しました。本当に恥ずかしいのですが、敷金・礼金をはじめ、冷蔵庫やテレビなどの家電、ベッドやタンスなどの家具のお金も全部、明日香が出してくれました。
あまりに申し訳ないので、僕の銀行口座の通帳とカード、消費者金融のカード、それぞれの暗証番号、印鑑を預けました。結婚はしていないのですが、そのほうが絶対にいいと思ったんです。
「この人じゃないとダメだ」
僕はそう直感しました。
母親じゃない。恋人なのに無償の愛を注いでくれる。なんでここまでしてくれるんだろう? と思いました。生まれて初めて、
「結婚」
の二文字が頭に浮かびました。
俳優時代はワゴンDJなどをやって収入はあったのですが、借金は増えるばかりで結婚なんて想像もしていなかった。所帯を持つ、子どもをつくるなんて考えたこともなかったのに、明日香とつき合い始めてからそういったものが一つずつ増えていきました。
と言いつつ、プロポーズはちゃんとしていないんじゃないですかね…。とりあえず結婚しようという話になって、結婚式の日程や会場の話を始めました。このころにはいつの間にか、明日香が僕の借金を返し終えていました。