南極でさまざまな観測をする南極地域観測隊。1957年に第1次隊が昭和基地を設立してから今に至るまで活動を続けています。第64次南極地域観測隊の女性隊員である白野亜実さん(38歳)に注目。現在、南極にいる白野さんにお話を伺いました。

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白野亜実さん
南極観測隊の隊員として活動する白野亜実さん
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南極への夢を叶えて。日本にいる家族への思い

今回取材したのは、JAMSTEC(国立研究開発法人海洋研究開発機構)に所属し、主に広報や国際協力の仕事に携わっている白野亜実さん。現在は南極観測隊の庶務・広報担当隊員として南極の昭和基地で活動しています。隊員の生活や業務のサポート、日本の関係機関との連絡調整、観測隊の活動を日本の皆さんに伝えるブログやSNSの制作、南極と小中高校の教室をオンラインでつないで行う「南極教室」などが主な仕事です。

白野さんは、9歳の娘さんと6歳の息子さんを育てる母親でもありますが、かねてからの夢で南極観測隊員を志願し、見事一員に選出されました。家庭や子どもに寄り添って、自身の想いを保留にしようかと迷った時もありましたが、夢を追いかけた白野さん。実際に南極についてからの心境についてお話を聞きました。

●インターネットを通じて連絡。夫には感謝したい

雪山登山
南極出発前の冬期総合訓練で雪山を登山

――南極についてから数か月がたちました。日本にいるご家族と連絡を取られているのでしょうか?

白野:昭和基地についてからは、インターネットが使えるようになったので、定期的にオンライン電話で声を聞いています。夫のつくるお弁当は子どもたちにも好評ですし、几帳面な性格なので洗濯物を干すのも食器洗いも得意。普段から私たちは家事を分担していたので、安心して任せています。

子どもたちも、私がいなくて寂しいという感じは今のところなくて、普段通りに楽しく過ごせているようです。子どもたちが変わらず元気で日本で暮らせているのは、毎日がんばってくれている夫のおかげです。

――声を聞いて、ご家族と会いたくなったりする瞬間はありますか?

白野:少し冷静になったときに、「家族4人で暮らしていたのに、私はなぜここにいるんだろう」と思うこともあります。

心の平穏を保つためにも、自由時間は、ヨガやフラダンスのステップの練習をしたり、子どもたちと見た映画の音楽を聴くなど、日本と同じように過ごすことを心がけています。

オングル島から南極大陸を望む
昭和基地のある東オングル島から南極大陸を望む

――ご家族とのやり取りで印象的だったことを教えてください。

白野:南極に行く前、6歳の長男に「南極に行く」と伝えた時に「寂しいからゲーム機を買って!」と言われたので、1日30分だけという約束でゲームをプレゼントしました。最近になって、ゲームの世界でオリジナルの水族館が完成したそうで「ママ! 見て!」とビデオ通話で見せてくれ、会話が盛り上がり嬉しい気持ち、そんなに上達するほど私の出張が長くなったのだなという寂しい気持ちの両方を感じました。

夫に、私が野外観測で遠出した際に撮影した氷山と南極大陸の映った写真を送ったところ、「南極で新しい景色を見ることができて、良かったね!」と返信があり、改めて夫のやさしさを感じました。本当は家事や育児で疲れていたかもしれませんが、そんな温かい言葉を返してくれた夫に感謝です。