●憧れの先輩の背中を見て、夢に挑もうと決心

庶務・広報として隊員を支える白野さん
庶務・広報として隊員を支える白野さん
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――JAMSTECではどのようなお仕事をされてきたのでしょうか? また、南極ではどのように生かしていきたいですか?

白野:JAMSTECではこれまで、広報や報道対応、国際協力の部門に所属していて、具体的には、研究施設や船舶・探査機の公開イベントの運営やテレビ番組取材の受入、海洋分野の協力について話し合う多国間・二国間会議の調整などを担当してきました。どれも科学研究と社会をつなぐ仕事であり、常に裏方として調整に奔走してきたように思います。観測隊でも、隊員の業務と生活の両方を裏からしっかり支え、観測隊の活動を発信して社会につなげることが仕事です。これまでに培った調整の技をここでも生かしていきたいと思っています。

――改めて、白野さんが南極観測隊を志したことにきっかけを教えてください。

白野:もともと科学的なテーマとして南極に関心があったのですが、直接的なきっかけとなったのは第60次南極地域観測隊副隊長兼夏隊長として当時JAMSTECに所属していた原田尚美さんとお話しさせていただいたことです。原田さんは観測隊初の女性夏隊長。やわらかくも強いリーダーシップで隊を率いている凛とした姿に触発され、南極観測隊に挑戦してみたいという思いが湧き上がり、思いきって南極観測隊への応募を決めました。

私の子どもたちに、勇気を持って目の前のチャンスをつかみにいくことや、チャレンジすることの大切さを教えたかったというのも理由のひとつです。

――ママ友など、周囲の方々からの反応はどうでしたか?

白野:観測隊の仕事をよく知らない方からは「冒険に行くの?」などと言われましが、南極観測隊として長期出張をすることに対して否定的なことを言われることはありませんでした。ママ友もみんな応援してくれました。思いっきり仕事に邁進するのもいいし、家族や子どもに寄り添って暮らすのもいいし、女性の生き方はさまざまあってどれもすてきだと思います。

ただ、私は「ママだから」という理由で夢を諦めたくはありませんでした。ママがやりたいことにチャレンジできない世の中だと、ママになりたい人も、ママになる人も減ってしまうと思います。私の活動が少しでも皆さんのヒントにつながればよいなと思います。

●3回目のチャレンジでようやく選ばれて…

昭和基地から見たオーロラ
昭和基地から見たオーロラ

――南極へ行くことはこれまでも志願されていたのでしょうか?

白野:今回64次隊の庶務・広報隊員に選出されたのは、3回目のチャレンジでした。残念な通知をもらった1、2回目の公募の時も、諦めようと思ったことはなく、次回チャンスがあれば公募に手を挙げたいと思っていました。残念な通知があったときは、大好きな温かいミルクティーを飲んですぐに気持ちを切り替えました。

地球はひとつのシステムなので、たとえば海で起こる現象を理解しようとするときも日本が位置する中緯度で起こった現象が、じつは北極域から伝わってきた現象に由来するということがあります。地球全体の環境変動を理解するために南極で調べることが大きなカギとなっているのです。このようなミッションをもつ南極観測隊で仕事をできることが、挑戦の大きな原動力になりました。もちろん、これまでに見たことのないオーロラや巨大な氷河など、美しい風景に出合いたいという気持ちもありました。

憧れだった60次夏隊長の原田尚美さんから体力がなければ気力も続かないと聞いていたので、前もってジョギングしたり、ヨガで体幹を鍛えたり、体力づくりをして準備をしていました。