お互いのブログやSNSで家族のエピソードを発信し人気を集める、お笑いコンビ・はんにゃの川島章良さんと妻・菜月さん。
今回、川島さんが夫婦二人三脚でがんを乗り越えた体験をまとめた書籍、『はんにゃ川島のお笑いがんサバイバー』(扶桑社刊)の発売を記念して、「Amebaブログ」×「ESSEonline」コラボ企画を実施。先週から3週に渡り「川島家3大事件簿」をテーマに、菜月さんはESSEonlineで、川島さんはAmebaブログにて、夫婦の交換日記形式でつづります(毎週金曜同時更新)。
第2回は、「家族をつなぐ夫と祖母と父の『がん』体験」についてです。
◆前回のお話はこちらから◆
すべての画像を見る(全7枚)夫のがんが怖いものではなかったのは、祖母のがんがあったから
日本人の死因第1位である「がん」ですが、じつは私にとってもとても身近な病気となりました。
まず、子どもの頃に育ての親である祖母が乳がんに、そして、第一子妊娠中には夫が腎臓がん、その3年後、第二子妊娠中に父が食道がんを患い、3人とも無事克服することができました。これまでも、夫と父のがんについて、家族目線でコラムを書きましたが、今回は私にとって初めて「がん」を知るきっかけになった、私の祖母、そして夫との関係についてのお話です。
●育ての親である祖母の乳がんで、「がん」という病気を知った
私の両親は私が1歳のときに離婚。父は仕事が忙しかったため、私は祖母に育ててもらいました。
1歳から母親がいないと、不思議とその環境が当たり前で、周りから「なんでお母さんいないの?」「変だよ」と言われることはありましたが、私自身その環境を不自由に思うことはありませんでした。祖母は仕事をしながら、保育園の送り迎え、食事の用意、寝かしつけ、行事ごとへの参加など、本当の母のように育ててくれました。
そんな大好きなおばあちゃん(当時92歳)が、昨年の4月、老衰という報告を受け、2人の子どもたちとともに実家に帰省。コロナ禍ではありましたが、入念な感染対策をした上で大人1人つき添いの許しが出たので、短い時間でしたが、一緒に時間を過ごすことができました。
認知症を患っていたこともあり、もう私のことは忘れていたけれど、手を触ると握り締め、しゃべりかけると言葉は返ってこないものの抱きしめてくれたり、少しのコミュニケーションはとれました。
祖母はとにかく愛情が深く、いつも気遣いを忘れない人でした。そして、私にたくさん大切なことを教えてくれました。靴下にあいた穴に布を被せて縫ってくれて、ものの大切さを教えてくれた。「トイレは毎日きれいにしてたら汚い場所じゃないよ、トイレには神様がいるからきれいにしとくと、かわいくなれるよ」と教え込んでくれ、愚痴や悪口を言ってるのを聞いたこともなく、本当にできた人でした。
そんな祖母との暮らしで、その後の私に大きな影響を与えてくれたのは、私が幼い頃に祖母が受けた「乳がん手術」かもしれません。