テレビのニュース番組などでコメンテーターとして多くの弁護士が活躍中ですが、その草分けともいえるのが住田裕子さん。人気番組『行列のできる法律相談所』に出演し、やさしいお母さんの笑顔でお茶の間でもお馴染みに。兵庫県加古川市の生家から、東京大学浪人時代に過ごした下宿生活、大学入学後の寮生活、東京地方検察庁時代の転居続きの日々など、今までに過ごした家にまつわるエピソードを伺いました。

現在の住田裕子さん
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目次:

にぎやかな職住一体型の生家で過ごした子ども時代1年間の下宿生活を経て、晴れて東大の女子寮生活へ検事時代はマンション、宿舎、と転居続きの日々念願の一戸建て生活で落ち着いたかと思ったら…現在はマンションでシンプルライフを満喫中

にぎやかな職住一体型の生家で過ごした子ども時代

兵庫県加古川市の生家の前で撮影した家族写真

父親が戦後まもなく自転車の卸商を、兵庫県加古川市で開業。そこで3人姉弟の第一子として出生した住田さん(写真の後列左)。

「生家は、もともとは池あり庭ありの一軒家でしたが、玄関や家の手前の大部分を仕事用の事務室や倉庫等に、残る奥の一部を生活用にと改修。昔よくあった職住一体型の家でした。従業員も数人おり、にぎやかな食卓で、小学生の頃は台所兼居間の広い食卓の一角で勉強していました。そのうち、小さい勉強机を端に置いてもらいましたが」

生家でのひな祭りの様子

大広間で毎年お祝いしていたというひな祭りの様子。両親と叔母たちに囲まれて。

意外にも、勉強一筋というわけではなく、2人の叔母が音楽大学の教授であったことから、将来は音楽の道に進もうと、ピアノが居間にデンと置かれていたそうです。

ピアノの練習をする子どもの頃の住田さん

「ピアノ…実は、練習嫌いで、才能もないと悟り、高校進学前にはあきらめました。池や回廊などが次々とつぶされて、改修されていき、中学生になる頃、2階の倉庫の一角を子ども3人の勉強部屋にしてもらいました。といっても、両親が仕事で出払うときは私が事務室で電話番や接客をしており、そこも勉強スペースでしたね」

住田さんが18歳まで暮らした生家の間取り図

住田さんが18歳まで暮らした生家の間取り図を描いていただきました。この後、建て増しや改修をし、池や庭などはすべてなくなったそう。

県立高校に進学した住田さんは、女性でも一生続けられる職業として、公務員を志望することに。高校の教師のアドバイスで東大法学部を目指すことになったとか。

「当時、女性が法学部を目指すことはまれでしたし、東大は大学紛争の真っ最中でしたから、祖父母は反対。それでも受験を勧めてくれた高校の恩師には今も感謝です」

1年間の下宿生活を経て、晴れて東大の女子寮生活へ

現役での東大合格はかなわず、両親から1年間の浪人生活を許された住田さん。浪人生のみが入れる食事付きの下宿で、1年受験勉強に明け暮れ、翌年めでたく合格して東大の女子寮「白金寮」に入ることに。

「東大紛争の影響がまだまだあり、寮の中でも活動家による勧誘が盛んで、私もその影響をかなり受けました。2年間の教養学部時代は試験もレポートに代替されて講義も少なくて、2人相部屋(2つのベッドと机のみで間仕切りなし!)だったこともあり、おしゃべりに夢中で勉強はそっちのけでした。しかし、4年生になると男子はどんどん就職が決まる一方、女子は民間企業の就職口はまったくなし。国家公務員も女子は採用しないと知って、司法試験1本に絞りました」

ちょうど古い寮に空きが出て1人部屋に入ることができ、受験勉強に邁進。しかし、当初の2年間の不勉強の影響は大きく、2年の留年を経てようやく合格したそうです。

検事時代はマンション、宿舎、と転居続きの日々

司法試験に合格して晴れて司法修習生になり、埼玉県の浦和に配属。浦和のマンションに転居し、東京地検検事に任官後も1年は浦和から通勤していた住田さん。そこで同期の検事と結婚して夫婦揃っての転勤・転居が始まります。

「新任明けは、夫は和歌山地検、私は大阪地検堺支部で公務員宿舎は間の岸和田に。今は共同住宅になっていますが、当時は、庭付きの平屋で、そこで2子をもうけました。子育てには絶好の地でしたね」

その後、東京の板橋区内(2年間)、次いで茨城県取手市内(1年間)の賃貸マンションと移り住み、夫婦ともに法務省勤務になったときは、品川区内の公務員宿舎に転居。

「激務のため平日は夫の母と同居して家事、育児のサポートをしてもらいました。そこは家賃こそ安いですが3LDKの古いアパートみたいなものでした」

念願の一戸建て生活で落ち着いたかと思ったら…

その後、夫が単身赴任。以後、子どもが転校しなくてすむよう自宅購入を決断したそう。「自由が丘の一戸建てでした。小さな庭がある3階建てで、夫の母や男女2人の子ども部屋もあり、ようやく落ち着きました。宿舎や賃貸マンションと違って少々飛びはねても隣近所が気にならず、自由にのびのびと子どもたちが過ごせたと思いますね。子どももそこで学生から社会人へと成長し、思い出の多い家です」

ところが、一戸建てゆえのトラブルが発生。オウム事件担当のため警備対象になったり、留守中にベランダのガラス戸を破られ、2回も侵入窃盗の被害にあったのです。さらに、夫妻が相次いで弁護士に転身し、銀座等の事務所に勤務となりましたが、そこで東日本大震災を経験。

「銀座ではなく、安全な高台の地に移ろうと現在の場所に事務所を構えたのです。そして、年齢を重ねると自由が丘の家との通勤が面倒になり、職住近接のマンションを購入しました」

現在はマンションでシンプルライフを満喫中

90歳になる義母とも同居して、今に至っているそうです。

「これだけ転居を重ねると、ものへのこだわりはなくなり、できるだけシンプルに、内装も落ち着いたベージュに、という心境になりますね。一戸建てもよかったですが、高齢になり、夫と義母だけとなると、やはりセキュリティが重要。寝室はベッドが置けるスペースがあれば十分。でも、近くにいる子どもたちが来たときのために、広いリビングルームと大人数で囲める食卓は必須です。台所と食卓が近いことも大事」

住田さんの現在のダイニング空間

現在のダイニング空間。テーブルは茨城在住時代に購入したもの。8人は座れるという大きなテーブルは、お子さんたちの勉強机でもあったそう。インテリアはすべて明るいベージュかオフホワイトで統一。

銀座に事務所があったときは画廊で買い求めたお気に入りの絵画を何点も飾っていたそうですが、現在は、家族の写真をいくつか並べるだけで、限りなく簡素にしているといいます。ただし、テレビ用の衣装の整理は大変と笑います。

住田裕子さん
弁護士。東京地方検察庁に検事として任官し、その後各地の検察庁に転勤を重ね、女性初の法務省民事局付、大臣秘書官などを歴任後、弁護士に。現在内閣府、防衛省などの審議会会長等を兼務。NPO法人長寿安心会代表。著書論文も多数あり、長寿社会に向けた分かりやすい法律本『シニア六法』(KADOKAWA刊)が好評発売中。

※情報は「リライフプラス vol.38」掲載時のものです。