●自分たちに合っていた別居婚スタイル。夫婦の関係も徐々に変化
すべての画像を見る(全7枚)いざ、別居生活がはじまってみると、当初の心配や不安はどこへやら。美しく豊かな自然に癒され、夫は岩手の単身生活がとても気に入ってしまったのです。
「こっちはいいよ~! のんびりするよ~。早くおいでよ」
「車通勤って最高だな。もう東京の満員電車に乗りたくないよ」
「あそこの温泉は気持ちいいぞ~。おまえも絶対行ったほうがいいよ」
と、電話をするたび、新天地での暮らしをじつに楽しそうに教えてくれるのです。夫も40代後半で、東京のサラリーマン生活に多少疲れた部分もあったのでしょう。初めてのひとり暮らし、初めての地方生活。なにもかもが新鮮でワクワクしたのかもしれません。そのうち、趣味のスポーツのクラブチームに入って心許せる仲間もでき、すっかり東北ライフを満喫していました。
私と夫の関係も、少しずつ変わっていきました。端的にいうと、一緒に暮らしていたときよりいい関係になってきたのです。東京では近くにいるのが当たり前で、お互い忙しくよくも悪くも無関心になっていましたが、別居生活になれば会う時間は限られています。月に1週間前後の滞在時は名所や温泉めぐり、食べ歩き、お祭りなど、東北6県を積極的に楽しみ、家事も協力しあうように。
その後夫はさらに2度転勤をすることに。1年目より2年目。3年目より4年目と、年数を重ねるごとに慣れ、10年目を迎える頃にはすっかり成熟した別居生活が成り立つようになっていました。
「会える時間は、楽しく過ごそう」
それは、口に出さずともお互いが考えていたことで、今思うと遠距離恋愛のような日々でした。
●2拠点生活を送った9年間の幸せな思い出が生きる力に
その後、東日本大震災や他県への転勤、私と夫の入院手術、親の介護、看取りなど、さまざまな出来事がありながらも幸せに暮らせた9年間。3か所めの単身赴任先の自宅で夫は急死してしまい、楽しかった2拠点生活は突然終わりを迎えました。
もし、この運命を知っていたなら、単身赴任は選択しなかった…。でも、人生に「たら」「れば」はありません。最後に夫に会ったとき、こんなことを言っていました。
「俺たちには、単身赴任生活は大正解だったな!」
あまり事情を知らない人に「別々に暮らすなんて、夫婦でいる意味あるの?」と言われたこともありました。でも、夫婦一緒だからいいとも限りません。私たちの場合は、物理的な距離があったからこそ、思いやりがもてた。夫も、私も、自分の人生をそれぞれ楽しく過ごせた。
東京の居場所を残してくれたおかげで、夫亡きあと途方にくれずにすんだ。たくさんのすばらしい思い出がつくれたのだから、後悔はしません。私たちなりに、ベストを尽くしたかたちだったのです。