50歳の漫画家・古泉智浩さん。古泉さん夫婦と母(おばあちゃん)、里子から養子縁組した長男・うーちゃん、里子の長女・ぽんこちゃんという家族5人で暮らしています。

今回は先日亡くなったひいおばあちゃんとうーちゃんの思い出についてです。

得意のダンスをひいおばあちゃんに突然披露したうーちゃん

施設に入っていた100歳の祖母が亡くなりました。認知症がかなり進行していて、耳も遠くて、最後の方はあまりコミュニケーションができませんでした。子どもを連れて会いに行くこともありましたが「何歳?」と繰り返し聞くばかり。

うーちゃんは施設の近くにある大きな公園に遊びに行きたがります。着いてすぐ帰るのも気まずいもので、うーちゃんに「もうちょっといるよ」と言ってなだめていると、先日ダンスの発表会で踊ったダンスを見せると言い出しました。

ダンス
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音楽の用意もなくアカペラのダンスでしたが、5歳児が懸命に踊っている様子に祖母も見入っていました。

祖母にはうーちゃんが養子であることや、ぽんこちゃんが里子であることは伝えていませんでした。祖母は10年以上施設にいて、うーちゃんがうちに来た5年前もかなり認知症が進行していたので、いきなり赤ん坊を連れて現れてもとくに疑問は抱いていないようでした。

赤ちゃん

祖母「あんたの子らかね?」

ぼく「そうだよ」

それだけでした。子どもができず不妊治療をしたけどダメで、里子を預かることにしたんだよ、などと言っても理解してもらえるかもしれませんが、すぐに忘れてしまうので次に会った時に同じ説明が必要です。

僕の母に対して「私はあんたから生まれたんだよね」などと、時系列の認識が滅茶苦茶だったので、まあいいかなと思っていました。また、僕が50歳と言うと毎回新鮮に驚愕していました。

うーちゃんが赤ん坊のときは、だっこするのを怖がりながらも恐る恐る抱っこしてくれました。手を触ると「ちいさいねえ」とうれしそうに言いました。

大きくなって自分で歩ける年齢になるとうーちゃんはリハビリ用の平行棒にぶら下がって遊ぶのがお気に入りに。毎回ブラブラしていたのですが、あるときから「使用するときは職員にご連絡ください」とはり紙がつけられてしまいました。

ピカー

ちなみに、子どもを老人の施設に連れて行くと、マイケル・ジャクソンのようなスーパースター級の扱いを受けます。ちょっと歩き回るだけで、老人たちがまぶしそうに見つめて「バイバイ」と手を振り、うーちゃんやぽんこちゃんが手を振り返そうものなら昇天しそうです。

祖母はすっかりボケてしまっていて、寝ている時間が長く、起きていてもぼんやりしているばかりで、おやつも食べきれなくなっていました。しかしいざ亡くなるとさびしいものです。

最期は、食事が進まなくなったと施設の職員さんに告げられて、そろそろかもしれないから明日子どもを連れて行こう、でも明日はダンスがあるから明後日だ、などと話していた翌朝、呼吸が弱っているとの連絡がありました。

早朝のまだ寝ていた時間だったので、大急ぎで子どもに支度をさせて連れて行くとすでに亡くなっていました。母は一足早く駆けつけたのですが、間に合わず家族は誰も最期を看取ることができませんでした。連絡があってから亡くなるまでは3日くらい最低でもかかるだろうと思っていたので、急すぎて驚きました。

走りまわる子ども

大往生であったので、悲しいよりめでたいようなお葬式でした。うーちゃんもぽんこちゃんも、親戚の子どもが毎日うちにやって来るのでテンションが上がって祖母の遺体の周りを走り回って、敷いてある座布団を移動させて遊んでいました。

【古泉智浩さん】

漫画家。1969年、新潟県生まれ。93年にヤングマガジンちばてつや賞大賞を受賞してデビュー。里子を受け入れて生活する日々をつづったエッセイ『うちの子になりなよ ある漫画家の里親入門』、その里子と特別養子縁組制度をめぐるエピソードをまとめたコミックエッセイ『うちの子になりなよ 里子を特別養子縁組しました』など著書多数。古泉さんの最新情報はツイッター(@koizumi69)をチェック!