高齢になった親がきっかけで、自分自身の終活について考える人も多いようです。妻の介護と向き合いながら静かに終活をすすめる実父の姿に、切なさと尊敬の念が入り混じったという文筆家の朝倉真弓さん(50代)もそのひとり。ここでは、朝倉さんが考える終活との向き合い方について語ります。

朝倉真弓さん
朝倉さんが50代の今考える「終活」のあり方とは?
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父の背中に切なさを感じたショートトリップ

ピーナッツ
父の故郷はピーナッツの産地としても有名です

先日83歳になる父と、片道2時間かけてお墓参りに出かけました。

母は認知症を患い、今はもう自力で歩くことができません。その姿を日々見守っているせいか、父もまた、自分自身の終活について準備を進めているようです。「お墓参りに行こうと思っている」と私に告げたとき、「最後に、動けるうちに行かないと…」とつけ加えたのを、私はあえて聞こえないふりをしました。

「自分の足で歩き、公共交通機関を使って外出できる今のうちに、行きたいところに行って、やっておきたいことをすませたい」そんな父の思いは十分に伝わってきましたが、ゆっくりと歩く父の背中を見ていると、胸がいっぱいになってしまいました。

早めの決断が生んだ「安心感」と「さみしさ」

朝倉さんの家族写真
当時の愛車の前で父と母と小学生の私

父は、80歳頃に自ら運転免許を返納しました。車が好きでドライブが趣味だった父ですが、自分の体力や反応速度の衰えを冷静に判断したのでしょう。私たちが返納をすすめる以前に、あっけなくハンドルを手放しました。

また、母の入院やケアハウスへの引っ越しをきっかけに、ものの整理も着々と始めています。私が訪れるたびに、「ここには書類が入っている」「貴重品はここ」などと教えてくれるのです。

こうした姿勢は見習うべきですが、同時に、胸が締めつけられるような思いもあります。そこまで片付けなくてもいい。乱雑なままでもいいから、どうか長生きしてほしいと祈りたくなってくるのです。