ESSEonlineで5年にわたって暮らしにまつわるエッセイを執筆してきた、作家・作詞家の高橋久美子さん。最終回となる今回は、これまでのことを振り返りつつ、最近新たに生まれた喜びについてつづってくれました。
すべての画像を見る(全5枚)特別でない今日のちょっとした特別を書き続けて
どんなことにも、始まりがあれば終わりがあるというもので、この連載も最終回となりました。2週間に一本を5年半、なんとも150回近く書いてきたんですね。一気に書くとなると大変な本数ですが、私にとっては2週間に一回の日記のようでした。
特別でない今日の、ちょっとした特別に気づけたとき、『暮らしっく』に書こうと思いました。この連載があったから、続いていく日々の花だけでなく枝葉に光を当てることができたんだなと思います。見落としている幸せとか不幸せって、じつはたくさんあるんだということにも気づきました。
卒業シーズンのうれしかった人とのやりとり
今年も庭のミモザの花が咲き始め、卒業式の季節。
先日、HPの問い合わせから一本のメールが来た。卒業式を迎える息子さんをもつお母さんからだった。
私が翻訳を担当した絵本を、お世話になった担任の先生に朗読とともにプレゼントしようということになったが、Amazonなどネット書店は売りきれ、県内の本屋さんすべてに電話をしても在庫がなかったので、版元に問い合わせたところ、絶版なんですと言われたそうで。
そうなんですよ。残念ですが、すべての本が残っていくわけではないんです。大体の方がここで諦めそうだけれど、彼女は最後の最後に一か八かで私のHPに問い合わせてくれたのだ。
「保存用に買い取っておいたストック数冊から1冊をお送りしますよ」とメールしたら、涙がでました。と返信があった。最後の絵本も本望だろうと思った。
遠くに暮らす誰かの大切な瞬間に、私の携わった本が関われることが私は単純に嬉しかった。諦めなかったお母さんの思いの賜物です。
同じ思いをして諦めた方がいるだろうことも想像できないわけではないけれど、出会ってしまったのだから、それがすべてではないか。42年間、こういう親切を様々な場面で受けて私は生きてきたに違いない。誰にも迷惑かけずに生きるなんて、そんなところを目指しちゃいけないと私は思う。
私もいっぱい迷惑かけて、優しくしてもらったから、その恩返しだと思わせてほしい。世界中の人を幸せにはできないけど、自分が出会った人にはなるべく笑顔でいてほしい。自己満足かもしれないけれど、それでいいじゃない。
私の「暮らし」の範囲に、家族以外が加わったのは、歳を重ね、かつての祖母や母に近づいたからなのかもしれない。素敵な卒業式になりますように。