大人の社会で起きる「いじめ」は、非常にデリケートで解決が難しい問題。どう対処すべきか途方に暮れてしまうことがあるでしょう。しかし、その悩みに立ち向かい、自分をしっかりともち続けてほしいという願いを込めて、今回はYouTubeチャンネル「大愚和尚の一問一答」が人気の僧侶・大愚和尚の書籍から「泥中の蓮」という禅語を抜粋してご紹介します。
理不尽なことを見逃さず、自分を凛と咲く花に育てる
私が受ける悩み相談のなかで、相談数が多いにもかかわらず、回答するたびに「これは難しいな」と感じる問題があります。
それは組織の中での「大人のいじめ」です。当事者は、どうしたらいいのか、途方に暮れることでしょう。しかし、なんとかがんばっていただきたいのです。そんな人に、私が届けたい言葉が「泥中の蓮」という禅語です。
蓮の花は、泥の中から出てきて、まったく汚れのない姿で咲きます。私はこの言葉を、周囲が泥のように汚れていても、清らかなままでいられる人、泥の中でもしっかり根を張り、美しい花を咲かせることができる人、と解釈しています。
●いつの間にか自分がいじめの対象になっていた…
寄せられた悩みはとても深刻なものでした。相談者は、ある介護施設で働いている職員さんです。入所者へのいじめや金銭の使途の不正が起きていることに心を痛め、なんとかしたいと上司に報告しているうちに、今度は自分に対するいじめやプレッシャーが生じるようになってしまったというのです。黙ってそこを去ることもできます。しかし、家族を養っているのでどうしたらいいでしょうか、と途方に暮れていました。
私にとって介護施設は深く印象に残っている場所です。もう40年近く前のことですが、祖母が認知症になり、徘徊や火つけをするようになってしまったために、両親は、祖母を介護施設に入れなければなりませんでした。
両親にとっては、子どもがまだ小さかったうえに幼稚園を開園したばかりで多忙を極めたなかでの辛い選択。今は決してやってはいけないのですが、当時は祖母がベッドに縛りつけられている場面もあり、子ども心に、なんともかわいそうだなと思ったことが記憶に残っています。
そんな経験からわかるのですが、介護施設は、人手不足や資金不足などで大変な現場です。介護士が入所者を押さえつけて、それ以上危ないことにならないようにしないといけない場面もあります。介護中のとっさの処置と虐待はグレーゾーンです。ですから、相談者も、証明が難しいこともあるでしょう。
私は回答に窮しました。家族のある身ですから、正義を貫くか、今の生活を続けるかの板ばさみです。自分だったらどうするか、と考えました。そして、出た結論が、私なら「泥中の蓮」でいたい、というものでした。
難しいけれど、見て見ぬふりはできません。もしもスルーしてしまったら、一生後悔を背負い、その人は幸せでいることができないかもしれません。今の状況をおかしいと思っている人がほかにもいるはずですから、そういう人を見つけて、じっくり話してみてほしいのです。同じ思いを持つ仲間を増やしていきましょう。
ひとりで闘うのは難しくても、仲間がいれば闘えるはずなのです。SNSなどの発信手段も、しっかり勉強して取り組めば有効です。周囲のみんなが、いじめを見て見ぬふりして、不正を正そうとする意識がなければ、それ以上その施設にとどまる理由はないと思います。そのときに去る、そんなつもりでがんばってみてはどうでしょうか、と私は回答しました。