ゴミ屋敷の片づけは強烈な思い出。けれど、意外と忘れていた

ゴミ屋敷清掃
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ーー「ゴミ屋敷化」は決して人ごとではないですよね。当時のことを思い出しながら執筆されたかと思いますが、もし改めて描きながら思い出したことなどあれば教えてください。

西園:いくつかありますが、意外と忘れているな…というのがいちばん大きかったです。もちろん、炎天下で行われた大掃除のことや悪臭、そこで発見された“トイレのぬか床”、すずらんテープでできた異様な結界…など、強烈なことは覚えています。ただ、細かい部分は覚えてないんですよね。

マンガ
(『ゴミ屋敷住人の祖父母を介護した話』より)

だから漫画を執筆する際も、母と話して思い出したことがいくつもあったし、当時自分がつけていた日記を読み返して『そういえば液状化したグレープフルーツを踏んだな…』みたいなことも思い出しました(笑)。

――漫画を見たりお話を伺うとゴミ屋敷の片づけの壮絶さが伝わってきますが、その経験はトラウマになっていたりしませんか?

西園:自分でも少し意外ですが、今もトラウマにさいなまれているということもないんです。日記を読み返しても、つらさよりも“懐かしさ”の方が大きくて。あれだけ強烈な体験をしても、ある程度年月が経てば“喉元過ぎれば熱さを忘れる”というか、本当に全然へっちゃらなんですよね。

その要因としては、単行本のあとがきでも書かせてもらいましたが、漫画にすることでこの大変だった出来事を“しょうか”させたことが大きいのかな…と。今では、私のすべらない話の1つでもあるし、これがきっかけで仕事の機会ももらった。なおかつ、これを読んでくださった方から感想や共感などもいただいて。

ゴミ屋敷の元住人の祖父母も亡くなりましたが、ポジティブな体験ではないし、楽しいことでもない。でも、適宜、人に話したり、漫画にしたり、伝えることができた。だから自分のなかで思い出を“昇華”することもできたし、“消化”することもできたんだと思います。

あとは、発覚した当時からひとりで抱え込まずに、プロの方を頼ったり、友人に話したりして、モヤモヤを外に出していました。多分ひとりでため込んでいたら私自身がつぶれてしまっていたかもしれませんが、そのおかげもあるかも。「プロの助けを借りる」、それがこのゴミ屋敷の片づけで学んだ教訓のひとつです。

ゴミ屋敷住人の祖父母を介護した話』(扶桑社刊)では、ESSEonlineで連載していた本編に加えて、描き下ろし漫画と専門家によるお役立ちコラムも掲載。ぜひチェックしてみてくださいね。

ゴミ屋敷住人の祖父母を介護した話

ゴミ屋敷住人の祖父母を介護した話

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◆連載第1話はこちらから◆
祖父母のゴミ屋敷を片づけて。「あれは単なる片づけではなかった…」理由

『バディ!!!』や『おみやげどうしよう?』などの著書・西園フミコさんが描く、祖父母との実体験漫画が今回からスタート!…